2013年11月15日金曜日

永井荷風


 小島政二郎(まさじろう) 『小説 永井荷風』 
ちくま文庫 1100円+税 

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 恋に「片恋」があるように、人と人との間にも、それに似た悲しい思い出があるものだ。

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 小島、永井荷風がいなかったら自分は小説家にならなかった。それくらいの存在。荷風に教わりたい一心で慶應文科に入学したが、教わらないうちに荷風は大学を去る。
 
 

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 荷風の作品に対して生意気なことを言ってはいても、心の中では、荷風に教わることによって文学の精神を会得し、荷風に作品を見てもらうことによって、久保田万太郎や水上瀧太郎のように文壇に出て行くことを私は夢見ていたのだ。

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 一学生である小島の気持ちなど荷風は知る由もない。当時、荷風は父親の急死によって相当な財産を相続した。

 後に小島が尊敬の念を込めて書いた「永井荷風論」が荷風の逆鱗に触れた。
 
 
 

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 顧みるに、荷風の文学に惚れて惚れて惚れぬいて、得たものは嘲笑に始まって悪声に終わったのだ。

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 小島(18941994)は小説家、俳人。慶應在学中から「三田文学」に作品を発表。戦前から戦後にかけて活躍。晩年は食エッセイで人気。若くして荷風の文学に心酔。
 

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 荷風が「あめりか物語」と「ふらんす物語」とを土産に、パリから帰って来た当時の颯爽とした姿をみんなに見せたかったと思う。

(文学の主流だった暗い地味な自然主義小説から、ハイカラなフランス文学の香り漂う新鮮な雰囲気に目覚めた)

 あれは明治四十三年だったろうか。自然主義の牙城である「早稲田文学」から、アンチ自然主義作家の永井荷風に「推薦の辞」が贈られたのだ。

 私は自分の鑑賞眼が幼稚でなく、正鵠を射ていたことを証明されたように思い、甚だ心楽しかった。いよいよ小説家になろうという臍を固めた。私が満十五の年だった。

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 本書は荷風の評伝。荷風のゴシップ・秘密が満載。1972年(昭和47)製本間近になって永井家からクレーム。2007年(平成19)にようやく鳥影社から出版された。

 荷風はアメリカで銀行勤めをしていた時、現地の娼婦と恋人になるが、フランス渡航時に手を切る。別れる用意を周到にしていた。後年、鴎外の「舞姫」事件を「鴎外のヘマ」と言った。

 遺産相続では母にも弟にも分与せず、弟に母の面倒を見させて、弟の悪口。

 玄人筋の女性との交際の実態を赤裸々に書きながら、良家の娘と結婚し、わずか半年で離婚。

 円本全集ブームの時、あれやこれやと批判しながら、金の話が出ると節操なく出版。……

 

 確かに、金と色と文壇での権威の裏話が多いが、小島の一番の批判は小説家としての変容。美しい文体が崩れていった。
 

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 彼の「日記」が語っているように、荷風は日本には珍しい血の冷たいエゴイストである。荷風に親譲りの財産がなく、彼の好きなボードレールのように、原稿料で生活して行かなければならない作家であり、いやでも応でも、あのエゴイズムを剥き出しにして現実を生活しなかったことを私はかえすがえすも、彼のためにも、日本文壇のためにも、大きな損失だったと思う。いや、それが本当の小説家の生き方なのだ。(鴎外のように自分の文体を完成できなかった)若し彼が私の言うように、彼の性格で現実の人生を生活したら、恐らく彼の好きなボードレールのように、彼自身の本当の名文を生んだであろう。

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荷風は大事な一生を誤った」

カバーの絵は荷風のもの。「日和下駄」より。

カバーデザイン 多田進  

解説 加藤典洋
 
 

(平野)