2013年12月10日火曜日

書楼弔堂


 京極夏彦 『書楼弔堂 破暁』 集英社 1900円+税 

 書名の読み方に困る。「しょろう とむらいどう はぎょう」。古本屋を舞台にした連作集。

 時は「開化してから二昔をずっと」越した頃。東京のはずれ。

 語り手、高遠彬(たかとお あきら)、旧幕臣の嫡子だが元服前に「御一新」。父親の縁故で煙草製造販売会社に勤めるものの営業不振で休職中。病気療養で家族(母、妹、妻子)と離れて暮らしている。親の財産がある高等遊民。散歩途中なじみの書舗(ほんや)の丁稚に会い、変な古本屋に連れて行ってもらう。櫓のような3階建て。本屋には見えない。店舗とは思えない。軒の簾には半紙で「弔」の一文字が墨で鮮やかに。

 

……扠如何(さていかが)したものかと躊躇する。
気軽に冷やかして帰れるような雰囲気でないことだけは確実だろう。入店しなければ覗いてみることもかなわず、入店した以上は覗くだけでは済まされまい、否、済まされないことはないのだろうが、如何(どう)にも気が引けてしまう。
いやはや厭な店もあったものである。……

 

小僧が出てきて、「弔」は屋号と。店内は和蝋燭が灯され、左右の壁はすべて本。和書、洋書、和本に、錦絵、春画、瓦版、新聞、雑誌も。亭主が下りてきた。白い着物、僧侶のよう。老人という年齢ではないし、高遠よりどれくらい上かも不詳。

 高遠が、本が好きだ、学問はしていないと言うと、

 

……「読むのがお好きなのですか。本がお好きなのですか」
同じではないのか。
「勿論読むのは好きですがね。本ですからね。」
亭主は莞爾(にこにこ)と笑った。
「しかし、読むだけならば、借りて読んでも一緒でしょう。(略)知見が欲しいのであれば、借りて読もうが立ち読みをしようが同じことです。一読理解しさえすれば、それで済みます。でも、本はいんふぉるめーしょんではないのですよ」
本は墓のようなものですと主は云った。……

 

亭主は西南の役を描いた錦絵を見せてくれる。自分は勿論現場に行っていない。絵師も彫師も摺師も行っていないはず、想像、誇張と嘘だらけ。新聞記者が取材した「戦史」も。こちらは資料として信用できる。情報として価値が高い、と。

 

……「でもお客様。これを読んだところで、私は西南の役には加われないのです。(読んで想像するしかない。本物ではない)謂わば、幽霊のようなものです。……言葉は普く呪文、文字が記された紙は呪符。凡ての本は、移ろい行く過去を封じ込めた、呪物でございます。(本は墓と同じ)
するとこの店は墓地なのだろうか。
「書き記してあるいんふぉるめーしょんにだけ価値があると思うなら、本など要りはしないのです。(墓や骨に意味も価値もなく、それらに価値を見いだすのは墓に参る人。本も同じ)本は内容に勝ちがあるのではなく、読むと云う行いに因(よ)って、読む人の中に何かが立ち上がる――そちらの方に価値があるのでございます」……

 読む人がいれば屍は蘇る。だから買う人がいる、と。

 客が入ってきた。いかつい顔、眼光鋭く、普通なら迫力のある風貌だが、精気がない、脚が悪く前屈み。
 客、不摂生と酒で神経をやられた、寿命がもたない、学はないが本は読む、読み足りない……と訴える

 

……「だから――死ぬ前に、臨終の前に、読む本を売って呉れ。このままでは往生出来ねえ。最後の最後まで、仕事がしてえのだ。でも、どうしても手が動かねえ

(高遠は客と亭主のやりとりを見ていいて思う。死期が迫っている男が本を読みたいと思うのか、他にすべきことがあるだろう、いや、この客は仕事がしたいとも)
ならば、何故本など読もうと思うのか。
そもそも、臨終までに読んでおかねばならぬ本などあるのか。……

 
亭主は客に1冊の「のおと」を手渡す。

 
装画 月岡芳年

1話の客はその芳年。

他に、泉鏡花、勝海舟、井上圓了、中濱萬次郎、岡田以蔵、巌谷小波ら登場。

装幀 菊地信義

 

(平野)