2014年3月11日火曜日

仙台学vol.15(1)


 『仙台学 vol.15』 荒蝦夷 1700円+税
 
 
巻頭エッセイ 山  いとうせいこう

特別寄稿 異界からの伝言  マリー・ムツキ・モケット

震を描き 災を想う  東日本大震災3年目の作家たち

熊谷達也  玄侑宗久  佐伯一麦  和合亮一  いとうせいこう

第3回みちのく怪談コンテスト受賞作発表

選考会 高橋克彦 赤坂憲雄 東雅夫

競作みちのく怪談2014

聞き書き 鎮魂と再生 岩手・宮城・福島の声

男たちは北へ 幕末維新断章

星亮一  河原谷創次郎  甲斐原康  松田十刻

(連載) 

只野真葛の『奥州ばなし』 勝山海百合(現代語訳)

黒木あるじのみちのく怪談

 
木道をわたる風 蒲生  甲斐原康

 「山」 いとうせいこう

 両親が信州出身で、自分も「山国の人間の気質」があると思う。山国や雪国の「忍耐やブラックユーモアを十二分に」抱きしめている。
 学生時代、小劇団に出入りしてを発表していた。劇団と旅した岩手・早池峰で山伏神楽を見て、土地の人たちの風貌、言葉、気質、体型など信州の親戚たちに似たものを感じる。
 不思議な神楽の演目に「無意識の底に確実にオモリを垂れている感覚」を感じる。
『鐘巻』、近づいてはいけない鐘に執着する女がやがて蛇に変身する。『芋環』は夜毎通って来る男に糸をつけてたどっていくと蛇がいたという話。
『鐘巻』は能「鐘巻」になり、歌舞伎「道成寺」の原型、女の執着が爆発するというわかりやすい話になっていく。

 しかし山伏神楽で見た『鐘巻』は違った。鐘に異様な意味が詰まっていたし、蛇体にも割り切れぬ信仰や差別や神秘や憧れや軽蔑が反映していた。……

 いとうは「失った日本文化の根幹」を感じ取る。荒蝦夷の編集者に神楽の資料をあれこれ訊ねた。
 青森のキノコ学会リーダーの話。冗談のようだが、日本には「キノコが好きで好きで仕方ない者」と「関心がない者・忌避する者」がいて、前者は縄文人の末裔、と言う。「山と共に生き、キノコに自分たちと同じ思想めいたものを感じる者」だ。
 いとうはこの話がよくわかる。

キノコが好きで仕方がないというより、それは妄執のようなものだ。郷愁であり欲望であり死との境界線であり原始性の反復であり隠れて生きる存在の美でもある。それは土の奥から出てきてあたりに這いつくばる。まるで蛇のように。不気味で、懐かしい生き物。(略)我々は山をおそれ、山に割り切れぬ信仰や差別や神秘や憧れや軽蔑を様々に持っていたのである。

 いとうは『鐘巻』と『芋環』を書き直してみたいと考えている。

 『仙台学』続く。

(平野)