2014年3月13日木曜日

仙台学vol.15(3)


 『仙台学 vol.15』(3

震を描き 災を想う 東日本大震災3年目の作家たち

『光の山』と福島のいま  玄侑宗久

 1956年福島県三春町生まれ、在住。「東日本大震災復興構想会議委員」を務めながら、福島在住者としてメディアで発言を続けた。
 
 

『光の山』(新潮社 1400円+税)は大震災後初の小説。表題作は、「30年後の福島で、一人のおじいさんが汚染された土や落ち葉の仮置き場として所有地を提供し、それが高さ二〇メートルもの山になって不気味な光を放つ」とう話。他の作品も被災地に次々押し寄せる過酷な現実を描く。原発勤務者と恋人、行方不明の父親を探す少年、放射能の恐怖、避難所や仮設住宅での暮らし……

 環境の激変で玄侑は書き手として変わらざるを得なかった。

 福島を伝える立場、あるいは現実をどう捉えるかと問われる立場として、発言を求められ、ジャーナリスティックな文章を書かざるを得なくなった。呑気にお話を考えている暇があったら除染の手伝いでもしろ、というような声も頭の中に渦巻きました。でも、ジャーナリスティックな言葉は寿命が短いですね。自分の思いの中に定着しない。その点、小説は、「思い」の結晶みたいなものが沈着していき、あるとき形として生まれるものです。

 ものの見方も明らかに変わった。

 人間の愚かさも含めて、ここに住んでいるからこそ見えたものがある。福島県内の放射能は大丈夫だと語る放射線防護学者や生物学者の言葉はもはや意味を失いました。

(福島に対する風評で実感)すべての人が自分を正当に理解してくれるなんてことはありえません。誰もが普段から風評の中を活きているようなものだと気付きました。

 ただ、正直に言えば、表現する人間としてはこんな渦中に巻き込まれるのも悪くはない。と言いながら、そろそろこんな発言をストップして書斎に籠もり、震災や放射能とは関係ないものを描きたいという気持ちもあります。

 悲惨さゆえにジャーナリズムが扱わないテーマがある。津波が引いたあとの惨状やPTSDに苦しんでいる人たちのことなど。

 文学でならそんな悲惨さも含めて伝えられるのではないか、文学だからこそ書けるのではないかと思います。(略)
  このごろ自分の本をぜひ読んでほしいという思いが強くなりました震災とはどのようなものかを知るためにも読んでほしい。実はこれまで、分かる人だけが分かって読んでくれればよいと思っていたのですが、今は違います。より多くの人たちに読んでほしいと心から思います。

『光の山』はフランスと韓国で出版が決定している。

(平野)