◇ 【海】史(25)
■ 酒井道雄編 『神戸発 阪神大震災以後(岩波新書 1995年6月刊 品切)(その2)
島田が考える神戸市の文化行政の問題点。
音楽、美術、演劇のすべてにおいて、専門的な機能を備えた施設は不足しており、文化はたんなるイベントとしての位置づけしか与えられていない。
美術館では、池長孟の南蛮美術コレクションを母体にした市立博物館と、小磯良平遺族寄贈による小磯良平記念美術館のみ。いずれも行政の積極的な意志によって始まったものではない。
一方、博物館施設は、海洋博物館、青少年博物館、水の科学博物館、ファッション美術館など充実。「イベント都市・神戸市の面目躍如」と皮肉る。それでも市立美術館がそれぞれの水準を持って運営されてきたのは専門職員が努力してきたから。
美術館、博物館、音楽ホール、文学館などの館長にはぜひとも専門家の起用を望む。
また、舞台芸術について、名作・名曲主義が横行。施設の数はあるが、どこも多目的ゆえの欠陥があり、それぞれの舞台芸術に合った整備(演劇と音楽ではステージの奥行きや高さなど要求が異なる)を求める。
「借りてくる」イベント指向もある。93年のルーブル美術展は50日で60万人の入場だったが、混雑しすぎて、鑑賞できる状態ではなかった。入場券販売を旅行社にまかせて会場のキャパを無視していた。
残念ながら今の神戸には、文化を根っこから育てていこうという教育、施設、財政などの社会システムが立ち遅れてしまっている。
島田はこれまでの文化支援活動の経験から提言をする。
(1)
一般会計予算(約1兆円)の1%を文化ソフト予算に。
(2)
神戸市文化財団に専門家起用、独自の企画業務拡充、財政強化のため民間からの基金受け入れ。(3) 早い段階で情報公開し、審議会、委員会の中立化と行政からの独立性保証。
(4) 神戸市独特の文化振興基金設立。
市民が主体となり、行政がバックアップする社会システムを確立することにより、芸術文化にたずさわる人びとの活動の場が確保され、すぐれた芸術家が存在することによって、プロモーターが育ち、若い作家は神戸という風土でしか発信できない作品を発表する。鑑賞者が育ち、より高い感性をもったニーズが生まれてくれば、ジャンルをこえた創造的な活動が刺激される。
こうして育っていく神戸の芸術文化は、より成熟した国際都市神戸として認知されるために不可欠であり、都市としてのアイデンティティを確立することにつながる。経済性とは無縁に思われる芸術文化を育てることによって培われた感性、情報、知識などが、結果としてデザイン、製品開発、情報産業から、教育、福祉など、あらゆる分野に波及するだろう。神戸はそこで初めて、二一世紀に“ほんものの都市”になるのではないのだろうか。
(平野)