2014年4月8日火曜日

【海】史 大震災後(7)


 【海】史(24

 阪神・淡路大震災後(7

 島田の震災後の記録は主に『蝙蝠、赤信号をわたる』(神戸新聞総合出版センター、197711月刊)に拠ってきた。
 書名の蝙蝠は既述。
赤信号について。
 震災から2年近く、本屋・画廊経営よりも、被災地復興・文化復興のことに関わってきた。

 友が皮肉に「また、大好きな会議ですか」と言い、スタッフの顔には「いってらっしゃいませ」と言いながらまたですかと書いてある(こんなことを書くとまたスタッフに叱られるぞ)。それも当然。だれかが強制したわけでもない。嫌なら断ればいい。「是非に」と頼まれても、本当は他の人でも、別段、大変な支障があるわけじゃないのだ。自分でお役に立てるのならと考えるのは、まことにお目出度い人というべきなのだ。
 でも、今だからこそ言っておかなければならないことがある。今まで楽しい人生を送らせてもらってきたからこそ、伝えておかなければならないことがある。

 戦後50年、経済成長のなか、自分たちは行政まかせ企業まかせで、楽な道を選んで生きてきた。経済大国になってすべてがうまくいくように見えていた。しかし、奢りのなかで大切なものを捨て、破壊してきた。島田は、目を離してはいけない、知らぬふりはできない、と考える。

 どうも私たちに世代が日本の反映を支えたことはたしかでも、その繁栄にただ乗りし、次世代には負の財産のみを押し付けることになるのではないか。

 杉山平一の詩を引用する。

「信号」

交差点にくると
右ひだり どちらでも
青い信号の方をむいて
私はあるいた

気がつくと いつのまにか
もとの場所に戻っていた

ときには 一度くらいは
赤をつっ走るべきだったのだ

 島田は、この詩に励まされて「赤信号」をわたってきた。

 友は、「赤信号を渡ったら確実に事故が起こるよ」と心配し、もう一人の友は「二顧してから、赤信号を渡って下さい」と手紙をくれた。もう一人は「いよいよ、自爆ですね」と、うれしそうに笑った。


 イラスト・佐野玉緒(『蝙蝠、赤信号をわたる』より)
 
(平野)