2014年4月24日木曜日

虚空 稲垣足穂


 折目博子 『虚空 稲垣足穂』 六興出版 19804月刊

目次

序   足穂との出合い
第一章    足穂の生い立ち
第二章    足穂の上京
第三章    明石時代
第四章    再度の上京
第五章    足穂の結婚
第六章    京都時代
第七章    晩年の足穂
附   稲垣足穂から篠原志代への手紙
あとがき



折目(192786)は京都生まれ、小説家。略歴に「1950年より足穂に師事~」。弟子による足穂評伝。
 50年(昭和25)秋、彼女は京都のお寺の施設にいた足穂を初めて訪ねた。

 一見して容貌魁偉、足穂は眼も鼻も口も大きく閻魔様というよりもっとヨーロッパ風に、すでに魔王と呼ぶにふさわしい風貌をしていた。六畳くらいの部屋二間が一家三人の住居兼台所で、隅に七厘や青い葱など置いてある。
 対座してお話をし出すと、魔王の先生は驚くほどデリケートな心を持った人だった。それは、たくさんの悩みを悩んできた人の優しさだった。私の話すことに耳を傾け、強い好奇心を示される。(略)
 その日、稲垣足穂五十歳、わたし二十三歳。当時、まだ凡てに無智だった私であるが、さすがに稲垣足穂訪問は心に深く感じるものがあって、その住居にも何度か行っている。足穂が大変な酒呑みだということを知って、以後は必ずお酒を持参した。足穂は、すぐにびんの蓋をあけて酒を飲んだ。お世辞にも美しいとはいえない特別大ぶりな顔を苦痛そうに顰めて、毒薬でも飲み干すように、まず嚥下するのが彼の常だった。……

 折目は、足穂の「白鳩の記」(少年時代憧れた飛行機乗りの墜落死を書いた作品)によって、彼の文学に開眼した。
 足穂は折目をアンヌと呼んだ。

 一にWonder二にWonderですよ。文章は、人眼をひかなければいけない。人を驚かさなければいけない。それには調子高く出ることです。

 アンヌあなたの文章はさわりばかりだね、それでは人は苦しくて読めたものじゃない。

 アンヌ、調子が低いぞ。もう一オクターブ高くやれ。

……

 足穂は必ずエンピツで書く。当時、花鰹のだし袋におまけに入っているエンピツを、切り出しナイフで丁寧にけずってそれで書く。私にも次のように原稿下記の要領を教えられた。
「まず小さな紙片、メモ用紙とか、広告のはしきれなどそういうものを用意しなさい。そして随時、思いつくままに書くとよい。夜、寝る時も枕元においておくのです。大きな立派な原稿用紙、これはいけません。紙に圧倒されます。万年筆もインクの出具合その他で不自由だ。小さな紙片にこそこそ書きつらねているうち、これが膨らんでくるようなとき、いい作品が生れる。」

 折目の夫は学者で、足穂は本や資料を頼んだり、夫人同伴で訪問したり。
 折目の娘が亡くなった時は、折目の小説の序文に死を悼む文章を添えた。そして、語った。

 どうです。これでアンヌも自分が真正の芸術家だということを自覚しただろう。真の芸術家は実生活では不幸と相場が決っているものなのです。

 弟子が見た足穂50歳から76歳までの素顔。
(平野)

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