2014年4月26日土曜日

星の声


 萩原幸子 『星の声 回想の足穂先生』 筑摩書房 20026月刊 
装幀 クラフト・エヴィング商會

 1925年東京生まれ。49年、古本屋で足穂と出会い、読者になる。69年『足穂大全』(現代思潮社)、2004年『稲垣足穂全集』(筑摩書房)の編集に加わる。
 戸塚グランド坂下(こう書いていて、私、地理感覚なし)の狭い小さな古本屋に、萩原は本を売りに行った。

 古本屋の主人が私の持って行った本を品定めしているあいだ、棚の本を眺めていると、そこへ二人連れの男性が入ってきた。先だった人が一升壜を下げていて、振り向くと、主人の脇に立ったその人がこちらを見た。面長な顔の表情が柔らかく、この時のその人は若く見えた。メガネはなく、下着の上に直に薄茶色の背広の上着を着ている。……

 その人が台にあった本を手に、近づいてきた。

「若い人はこういう本を読まなくては行けない。僕は稲垣足穂です。これは僕が書いた本です」

 萩原は足穂の名を知らなかった。突然で返事もできなかった。すぐにではないが、本をくれると言う。お酒が入っているが、無邪気で明るい。お連れの人も主人も声を立てて笑い出した。彼女は恥ずかしくなって店を出るが、足穂が追いかけてきて、飛行機の爆音の口真似をしたかと思うと、真面目な顔で自己紹介らしきことを早口でしゃべる。急に烈しい口調になり、

「男も女もみんな嫌いだ! 女の人がいちばん美しいのはカトリックの尼さんです。キリストの花嫁になって下さい」
 私の返事など待ってはいず、矢継ぎ早に言葉が続く。その人から発散する異常なある力があった。周囲の生暖かい空気を切って払い除け、相手かまわず心の奥までさらすゆさぶるような気迫。気を呑まれて、眉根をよせたずっと年上のようにも見えるやや険しい横顔を見詰めた。このような人はいない、苛烈な痛ましい、おそらくは優れた人がむき出しに世に紛れ、今、ここにいるのか。……

 後日、古本屋の主人に、足穂からの本を渡された。『ヰタ・マキニカリス』。
 足穂の寄宿先を訪れ、手紙を書き、足穂が京都に落ち着くと年に何度か訪ねるようになる。
 前に紹介した折目は弟子で、近所に住んでいたから、日常の足穂を描いていた。足穂は文学の指導もすれば、家族ぐるみのつきあい。時に下ネタも披露した。
 萩原との会話は哲学的文学的。しかし、孤高の文学者の態度は一貫している。
 書肆ユリイカの伊達が亡くなって、全集が中断した時。

「残念ですね」
と、言わずもがなのことを口に出すと、火鉢の向こうの先生はゆっくりと背筋を正しながら、
「そのほうがロマンチックじゃありませんか」
 静かな声にやわらかな矜恃を感じた。そして「余計なこと言うな」と言われたような気がしたけれども、あの言葉には、逝かれてからまだ日の浅い伊達さんへのお気持もあったのかもしれない。……


 
 足穂の最期を看取った人でしょう。
(平野)