2014年4月30日水曜日

詩人たち ユリイカ抄


  伊達得夫 『詩人たち ユリイカ抄』 平凡社ライブラリー 1200円+税 200511月刊

 

元本は1971年日本エディタースクール出版部より。書肆ユリイカ社主・伊達得夫(19201961)の遺稿文集。
 伊達は京都大学卒業後、出版社編集部勤務。46年旧制一高の学生だった原口統三が入水自殺した。新聞記事には伊達は関心がなかったが、数日後に載った読書新聞がくわしく原口について書いていて、友人たちが彼の遺稿集を出版したいと語っていた。伊達は一高の寮を訪ね、翌年遺稿集『二十歳のエチュード』を出版した。ベストセラーになるが、同年会社は出版不況で倒産。伊達は48年「書肆ユリイカ」を創設して、『二十歳のエチュード』を再度出版。主に詩集・詩論を出版、多くの詩人に発表の場を提供した。

目次 

ふりだしの日々  「余は発見せり」  パイプはブライヤア  首吊り男  消えた人 ……
青春不毛  活字  スヰートピイと駱駝  ヘソとプロマイド  幾歳月 ……
詩人のいる風景  喫茶店・ラドリオ  手紙  悲しき玩具  売れない本の作り方 ……
童話  思いつき先生のこと  サキコのこと  りんごのお話(未完)  後書・中村稔
書肆ユリイカ出版総目録
解説・大岡信
平凡社ライブラリー版解説・大岡信

 以前紹介したように、社名は稲垣足穂の示唆による。伊達は『二十歳のエチュード」再出版にあたり、学生寮を訪問。学生たちと話していて、ベッドの上にあったポオの宇宙論『ユリイカ』(牧野信一訳)に目をひかれる。数日前に足穂と呑んで、彼がその本の話をしてくれた。

ポオの『ユリイカ』を知っているか。ポオは原稿を書いても誰も買ってくれなかったから、場末の酒場で浮浪者を集めて、自分の原稿を読んできかせたのだ。誰も聞いてる奴はいなかった。またあの気狂い奴がしゃべってる、と人は思っていた。その原稿が「ユリイカ」だった。アメリカにも、やっぱり、あんたみたいな編集者がいて、その「ユリイカ」を本にしてやった。しかし、二部、ほんとうに二部しか売れなかった。首をつって死んだ牧野がそれを訳して第一書房から出したが、日本でもやっぱり売れなかったろう。……

 伊達は46年に足穂の雑誌エッセイを読んで、彼を訪ね、『ヰタ・マキニカリス』原稿1000枚を預かったが、倒産で出版できなかった。49年、ユリイカで発行。

 かれはこの本をたいへん喜んでくれた。素人くさい造本で、いま考えるとはずかしいような本だけれども、仙花紙はなやかな当時の店頭では、豪華なモノに属していた。日本一の出版家だ。これは世界的な出版です、と言ってくれたが、あまり大げさすぎてほめられたような気にならなかった。そして、かれはその世界的な本に、さらさらと署名して、その場で下宿の女中に謹呈した。

 足穂は精力的に作品を発表し、収入は「惜しみなくアルコールになっていた」。アルコールが切れると手はふるえ、言葉はもつれ……。夜逃げのように東京を離れ、しばらくして戻ってきた時には、絶食、モク拾い、アル中症状。伊達は、「ああ、この稀有な才能もこうして亡びるのだろうか」と破局を予想した。
 しかし、奇蹟。足穂に紹介した京都の女性が、「あの人と結婚しよ思いますの」と。

 目を見張った僕の前で、しかし、さりげなく彼女は「ほんまに大きな不良少年ですわ」と保護司らしくつけ加えた。

(平野)
ほんまにWEBにまたまた新コーナー。
「阿倍野のしろやぎさん」と「倉敷のくろやぎさん」往復書簡
喜久屋書店のしろさんとくろさんが本屋の現場を語り合います。第1回はしろさん。
http://www.honmani.net/