2014年4月6日日曜日

ニヒルとテロル


 秋山清 『ニヒルとテロル』 平凡社ライブラリー 1400円+税

帯より。
いまの日本に、「否定する自由」はあるか?
辻潤、金子ふみ子、ギロチン社など、第一次大戦・震災以後の国家弾圧・同調圧力に抗した人々の生き様を見つめ、自由への足がかりを見出さんとした、アナキスト詩人の代表作。

目次  ニヒリスト辻潤  ニヒルの群像  
テロリストの文学  テロリストと文学  ニヒルとテロル
ニヒリズムそしてテロリズム  ニヒリズムとアナキズム

 辻潤18841944)、詩人、翻訳家、思想家。関東大震災後、憲兵隊に虐殺された伊藤野枝の元夫。放浪生活の末、孤独死。餓死と伝えられる。

 辻潤は世上にニヒリストまたはダダイストといわれてきた。彼はまたそれらについて多くの紹介や発言をしてきている。彼を小心翼々と生きた小市民と見ることもできるし、ニヒリストと見ることも、「エゴに徹して生き通した人」と見ることもそれぞれにあたっている。辻潤はまさにその全部である。(略)
……オレはそれがイヤだと言い張ることであり、その、オレはイヤだ、の立場から世間を眺めるとどいつもこいつも癪にさわるツラばかりだ、すなわち適合し服従して生きる忠義者、孝行者、忠僕のたぐいならざるはない、と彼はいっているのである。

 現存の国家権力に反対だが、革命が起きて、新しい支配権力が出現しても反対する、という。

 ニヒルとは否定である。否定に発し否定に到達する思想を体系づけようとするとき、それがニヒリズムである。権力に反逆することと集団的社会的生活のなかでの違和感にたじろがず自我を持しての生き方とは、方向においてひとつである。あたえられるものは孤立のかなしみである。

 大正時代、古田大治郎はテロリストといわれる。テロ計画のための資金獲得段階で誤って殺人を犯してしまい絞首刑になった。

 テロリストたる条件として最大のものははげしい自己主張のなかに自己を否定することのできる者たることである。ニヒリストでないテロリストはそのゆえに似而非なる者である。

「自分が死んで終わっても矢張り今日のように太陽が美しく輝き、空は青く澄んで、心ない自然の景色は存在しているのかと思うと、僕はさびしいようでもあり、不思議でもある。巷の雑踏を見ても自然の景を見たのと同様な感じがする。」(古田の獄中記より)
 ロシアのテロリストも同じような心情を綴っている。
……きょう、ぼくには静かに輝く空と、僅かな暖と、飢えた魂のためのせめてもの気ままな喜びだけで十分です……。」(カリャーエフの手紙より)
 支配権力とのたたかいで、自己の生命も否定する。自然、社会、民衆が滅びるのではなく、敵と自分が消える。秋山は彼らを「ニヒルの極致」と思う。

 彼らは、あるいは民衆、あるいは社会、のためにという現実的な目的のために、自己の未来まで放棄して、ニヒリストとなることによってテロリストの資格となりうる。事の筋みちは「アイツをやっつけろ」的単純卒直さで乗り出したとしても、自分の死が賭けられたとき、暗殺者自身にとってその哲学的意味は巨大に変質する。いわば価値と意義の認識において無の観念と一つになる。ニヒリズムはこのときテロリズムによって超えられねばならない。

 辻潤は、無為であること――「ニヒルで個的な生き方」「敗北的生涯」――で批判に徹した。この生き方もまさに「自己の滅亡」。

……ニヒルで個的な生き方は敗北的生涯をもって体制的主張の批判に徹することができる。同時に自己の滅亡の方向以外ありえない。テロリズムは否定を行為によって現実に見せることであり、ニヒリストが生涯をかけるように彼らは生命をかける。

 テロリストは生命をかける。もし、テロに失敗したとき、またテロの緊迫から解放されたとき、彼らはなおテロリストたりうるのか?

……思想としてのニヒルが行動としてのテロルに発現するとき、テロルはニヒルを超えるが、その瀬をすぎるとニヒルはその個々の内部から霧散するものだろうことを私は公約数的に想像する。その意味で、日本のテロリストといえども短時間辻潤らのニヒリズムを超え、それから後に多くの人びとは辻潤のニヒリズムよりも後退した。 (略、テロリストが社会に戻って敗北者になった事実がある)テロリストが死ぬことによってしか生きられないことは、このように明らかである。

『ニヒルとテロル』は1977年泰流社より。『秋山清著作集 第3巻』(ぱる出版、2006年)が入手可能。 
(平野)