2014年5月31日土曜日

足穂映画論




 海文堂生誕まつり「99+1」 


記念展 5月31日(土)~6月11日(水)

ギャラリー島田 1階deux
 



 

 
 

ごあいさつ

61日は海文堂書店創業100年に当たります。

この場をお借りいたしまして、長きにわたり海文堂書店にお心を寄せてくださいましたみなさまに心から感謝申し上げます。

 

海文堂ギャラリー&ギャラリー島田ゆかりの画家さんの作品をごゆっくりお楽しみください。

また、海文堂の歩みの数々を、記念ポストカード・「海会」合本・「ほんまに」バックナンバー・新旧写真・映像などでご覧いただきたいと思います。

 

これからの本の世界が広がっていくヒントのようなものが、この記念展のなかに少しでもあるとしましたら幸いでございます。
 

       「海文堂生誕100年まつり991」実行委員会 福岡宏泰

 
 
 稲垣足穂 『足穂映画論 フィルモメモリア・タルホニア』 フィルムアート社 199510月刊

 目次

 シネマとグラフへのアプローチ
 オートマチック・ラリーとともに
 THINGS TO COME のためのマニフェスト
 永遠のまやかしと触背美学
 タルホ・ピクチュアのシノプシス
 人間人形たちの人工戦争
 活動写真の回想
 パテェの赤い雄鶏を求めて

編集協力 香川眞吾 小谷孝司
書容設計 羽多良平吉&エディタクス
編集 郡淳一郎


 
「赤い雄鶏」はフランスのパテェ=フィルムのシンボルマーク。パテェカラーと呼ばれる独特の着色フィルム。初期には破産の危機があったが、大衆の好みを取り込み、大企業に。映画製作だけではなく、配給、興行、フィルム・映写機製造も。
 足穂は雄鶏マークを本に付けるほど好んだ。古い意匠を探すが、なかなか見つからない。



「私の祖父とシャルル・パテェ 赤いオンドリ」
  パテェ兄弟は鶏料理屋を経営していたが、たまたまリュミエールの「シネマトグラフ」に刺戟されて「活動家」になった。パテェレコード乃至パテェフィルムに付いている雄鶏のマークは実はカシワ屋の看板なのである。

 

「タルホ=コスモロジー」

 私は五歳から十三歳くらいにかけて、絵本や少年雑誌よりもむしろシネマトグラフによって啓発され、少なからぬ恩恵を蒙ってきたが、この大好きな活動写真の表象が即ちパテェの赤いオンドリなのだ。でも断っておくが、自分のセルロイド芸術愛好の焦点は、しょっちゅう取り換えられている外題ではない。又、喜劇や活動の主役たちでもなくて、その機械装置の上にあったということだ。この事情は今日も変りはない。私は監督だの俳優だの、その折々のシナリオに対しては殆んど興味を持っていない。しかし、あの35mmのフィルムと巻取枠の付いた映写機は素敵だと思っている。(略)自分の西洋趣味は映画がそだててくれたようなものであるが、この嗜好がひとえに堕落しなかったのは、自分にとって映画がいち早く観念化されていたからであろう。アイディアでないもの、アイディア化の見込みがないようなものは、自分にあっては未だ(・・)存在(・・)して(・・)いない(・・・)のだ。(古いオンドリ――首を仰向けてトキを告げる姿――を編集者たちが見つけてくれる)……私はいまも「失われた赤い雄鶏」を索めている。……鶏よ、雄鶏よ。パテェ会社の赤いオンドリよ。お前はいつまでも私の中に生き続けて、トキを作りながら羽搏いている!  
 
(平野)
 名古屋のキャワイイ本の雑誌レギュラーK子さんからご本をいただく。買わねばならない本だけど、おじさんには手が出ない。ありがたいこと。
 本日より「海文堂生誕まつり 99+1」開催です。本日の当番には、詩人さん、【海】文芸担当、レジ担当が入ります。オッサン二人は常駐。

2014年5月30日金曜日

「はみ出し者」たちへの鎮魂歌



 海文堂生誕まつり「99+1」 


記念展 5月31日(土)~6月11日(水)12:00~19:00

(火曜日は18:00、最終日は16:00まで)

ギャラリー島田 1階deux


海文堂ギャラリー&ギャラリー島田ゆかりの芸術家作品展(展示と販売)。

海文堂書店の歩みを写真と資料で紹介。

海文堂書店関連の出版物販売。

○100周年記念ポストカード作成・販売。

土日限定「古本市」。


 正津勉 『「はみ出し者」たちへの鎮魂歌  近代日本悼詞選』 平凡社新書 780円+税

 正津は1945年福井県生まれ、詩人。

 日本最古の歌集、『万葉集』には挽歌が二百数十首も収録される。挽歌は本来、野辺送りの柩の車を引きつつ唱えられ、死者の魂を呼び戻すよう、鎮魂の思いを込め詠まれた。
 挽歌を詠む。すなわち死者を悼むということは、いわば死は生を写す鏡なれば、みずからの人生を顧みさせずにおかない。死者の魂は、いささか神懸かった表現をすれば、生者に憑く。……

 大伴家持の妻を思う歌、山上憶良が旅の途中で死んだ若者を悼む歌を紹介。先人たちは、つねに真摯に死者を偲び、死者を悼みつづけてきた。

……あえていうならば、それこそ生き残った者が担うべき大きな務めの一つとして、つたえてきたのだ。 

 本書は明治から100年にかぎって、悼詞を選ぶ。おおよその方針。
 受ける者と捧げる者とが、死別してもなお、「賛仰なり、訣別の心や、志の継承や、反撥なり、つよく両者間を繋いで」あること。
 悼詞そのものが、「死者の生涯を語っていよう、一篇のモニュメント」たらんとあること。
○ 門下の誰それ・同業者の追悼のたぐいは除外。

 正津曰く、人選は片寄っている、くせのあるものが並ぶ、「はみ出し者」たちめいたメンバーばかり。

大石誠之助へ 与謝野鉄幹  大杉栄へ 中浜哲  永山則夫へ 大道寺将司  辻潤へ 辻まこと  谷川徹三へ 谷川俊太郎  山之口貘へ 金子光晴  牧野信一へ 川崎長太郎  鮎川信夫へ 吉本隆明 …… 

 著者が詩人だし、詩人から詩人に贈った詞を。

《IL 三》 金子光晴

『キリストだとばかりおもつてゐたら、おや、君は、死んでるはずの
貘さんぢやないか。どうして、また」

汗でべつとりとくつついたヅボンが、朝涼になつて
ひとりでにかわいて、それがすねからはがれるまで、
夜通しあるきつづける彼と、僕は、つれ立つてあるいてゐた。
 …………
『僕がキリストなんですつて? それは、どういふことでせうか。
僕は、生きかへつてでも来たやうなやうすで、それがなんだか羞かしいんです
けど、
やつぱり、いけなかつたのですか』
貘さんは、申し訳なささうな、てれくささうな、
寂しい笑顔をしてみせる。

いけないどころか、こんなたのしいことはないのだ。

 
 貘と光晴の出会いから別れまでは、本文を。

(平野) 
 著者は皆を悼んでいる。


『ほんまに』新規取り扱い

大阪女子の古本屋「本は人生のおやつです!!」さんが取り扱ってくださっています。バックナンバーもあり。ありがとうございます。 
TEL 06-6341-5335



「神戸新聞」5.30朝刊 海文堂イベント紹介いただきました。またもスケベ面なのでカット。



2014年5月29日木曜日

花月幻想



 稲垣足穂 『花月幻想』 立風書房 19943月刊

 足穂は幼い時から父親の影響で謡曲に親しんだ。仕舞を習い、後に観世左近となる少年と同じ舞台に立ったこともある。

目次

日本の天上界
花月幻想曲――天狗考
天狗考
虚空を天狗と来ぬる国いくつ  花月幻想
取られて行きし山々を  花月幻想
誘われ行きし夜
現代の魔道
鼻高天狗はニセ天狗

……

天上界への消息……天狗考の形成  高橋康雄

装幀 芦澤泰偉  装画 辻和子

「花月幻想曲」より

 蕪村全集連句篇で見つけた句、

虚空(おほそら)天狗ぬるいくつ  百万

 たちまち僕の脳裡には、幼少期の、父を中心にした謡曲的雰囲気が蘇り、清水寺の境内で羯鼓を打つさすらいの子がクローズアップされた。
「春は花のka、夏は瓜のka、秋は果実のka、冬は火のka、これそ加えて月は常住なれば、自らをKa‐Getuとこそ名乗り候」と云って、彼は衆人の前で、七ッの年、天狗に取られて以来の悲しく懐しい山巡りの唄を聞かせる。(略)この羯鼓少年の舞の件りは、謡曲にはめづらしいなだらかな、流れるような調子だったから、何か手廻しシンプレックス映写機のモノトナスな歯車廻転の音が覚えられ、詞につれて、九州四国山陰京都大和にかけての山々が、――譬えば青い月明の下方のシルエットになって――フィルムのように移り繞るのだった。

 謡曲の調べに、少年が天狗にさらわれ山々を巡った光景を思い浮かべた。足穂は成人して、映像化を考えたが果たせなかった。
 謡曲、薄幸の美少年、天狗、飛行、足穂好みがそろう。

足穂の「天狗」は、私たちが想像する巨体・赤顔・長い鼻の「鼻高天狗」ではなく、「烏天狗」。

(平野)

2014年5月28日水曜日

愛と暴力の戦後とその後




 赤坂真理 『愛と暴力の戦後とその後』 講談社現代新書 840円+税

 2012年『東京プリズン』(河出)で、アメリカ高校生活での体験をもとに天皇の戦争責任を問うた。母親が東京裁判で通訳をしていた。

 本書は、その小説家が「自国の近現代史を知ろうともがいた一つの記録」。敗戦、占領、憲法、安保闘争、学生運動、オウム……。歴史を現在のことと結びつけて発言する。

目次

プロローグ 二つの川
第1章 母と沈黙と私  
第2章 日本語はどこまで私たちのものか  
第3章 消えた空き地とガキ大将  
第4章 安保闘争とは何だったのか  
第5章 一九八〇年の断絶  
第6章 オウムはなぜ語りにくいか  
第7章 この国を覆う閉塞感の正体  
第8章 憲法を考える補助線  
終章 誰が犠牲になったのか
エピローグ まったく新しい物語のために

 赤坂の記憶、物心ついた頃まだ「戦争」の影のようなものは残っていた。「傷痍軍人」はどこに行ったのだろう。戦争を知る家族の経験が自分の中で歴史とつながらない。母親が東京裁判と関わったと知り、彼女と話すが話の筋道がつながらない。「戦争犯罪」「戦争責任」について尋ねると、彼女の思考は停止し、沈黙。
 その理由を考える。
 彼女はBC級戦犯の文書を見た。普通の人が非道な行為を行った。膨大な罪の記憶、恥の記憶、同時に被害の記憶、生き残った者の罪悪感が絡む。

 人々は、被害者でもあり、加害者でもある自らの姿を、一つの象徴として、昭和天皇に見たのではないだろうか。
 ならば、だからこそ、心の中でも、天皇を裁けなかったのではなかろうか。
 自分も、免罪されるほどに罪のない存在だとは思えないから。
 だから、黙った。(略)
「戦争」とか「あの戦争」と言ってみるとき、一般的な日本人の内面に描き出される最大公約数を出してみるとする。
 それは真珠湾に始まり、広島・長崎で終り、東京裁判があって、そのあとは考えない。天皇の名のもとの戦争であり大惨禍であったが、天皇は悪くない! 終わり。
 真珠湾が原爆になって返ってきて、文句は言えない。いささか極論だが、そう言うこともできる。でもいずれにしても天皇は悪くない! 終わり。
 その前の中国との十五年戦争のことも語らなければ、そのあとは、いきなり民主主義に接続されて、人はそれさえ覚えていればいいのだということになった。平和と民主主義はセットであり、とりわけ平和は疑ってはいけないもので、そのためには戦争のことを考えてはいけない。誰が言い出すともなく、皆がそうした。それでこの国では、特別に関心を持って勉強しない限りは、近現代史はわからないようになっていた。(略)
 しかし、ひとつの国や民族が、これほどに歴史なしに生きていけるのだろうか?

 
「自分たちが、自分たち自身と切れている」ことを認識しなければならない。
 赤坂は「研究者ではない」と断わるが、確かな視点と覚悟を持って発言する。
「戦争」「終戦」をテレビが話題にすることが少なくなった分水嶺は2008年北京オリンピックの夏、と断言する。

 それどころではなくなったというところなのだろう。
 世界第二位の経済大国という戦後唯一とも言えるアイデンティティが、揺るがされ始めた、その象徴を、あの夏に日本人は見たのである。

 憲法で戦争を放棄したが、「なぜ」「誰が」そうしたのか、歴史は語っていないと指摘する。それに、日本国民は「戦争」そのものを絶対悪と思ったわけではないとも。なぜなら、朝鮮戦争やベトナム戦争の特需を受けたではないか、と。

 勇気ある発言が続く。

(平野)
 私たちは「憲法」を語っているのか? 「戦争」を語り継いでいるか? 「戦後」は?
 オリンピックを招致するために堂々とウソをついた。“愛”はあるのか?

2014年5月27日火曜日

稲垣足穂の世界



 中野嘉一 『稲垣足穂の世界』 宝文館出版 19846月刊

装釘 出岡実

 中野嘉一19071998)、精神医学者、詩人、歌人、文学評論も。『稲垣足穂全詩集』(宝文館)編者。

 コメット・タルホの飛行記録
 幻想空間の軌跡  ダンセイニと足穂の幻想文学  反自然の思想と科学  星と月への偏執  足穂と詩人たち  足穂と戦争 ……
 稲垣足穂ノート  足穂のヒコーキ・ロマンティク  足穂の手紙  日本文学大賞と三島由紀夫  足穂の太宰治観  「死に語録」 ……

 精神医学的見地から足穂の作品を論じる。初期の詩や空間論、時間論から、彼を「パラノイア的と判断」する。

 足穂は60歳の時、京大精神科でロールシャッハテストを受けた。当時近代日本文学会の企画で、佐藤春夫、三島由紀夫、江戸川乱歩ら20余名が心理診断を受けたそう。
 足穂についての所見を中野が要約。

……稲垣足穂は分裂性性格者で具体的なものを拒否し、現実的情緒的な対人関係をともなう現実社会への適応に欠けるが、独自のはなはだ豊かな空想力によって幻想的世界を創造して、そこに住む人間と情緒的共感性を得ている。その観念活動はパラノイア的傾向をおびることすらある。同性愛的傾向が窺われるが、真性倒錯ではなく、非常化された性器を通じての原始心性への復帰、物心崇拝的な願望への強い執着である。(略)

……パラノイア的であるといことは、形而上的で、ミスティック、しかもロジカルな思想も具有しているということである。病理学的には、ふつう、パラノイア的とは知性で、どうにも処理できない不動の妄念的な信念のことで、現実界のうら側にひろがっている非現実の世界をみる心のことであると定義される。……

「明らかに同性愛者である」とも。

(平野)
「ほんまにWEB」連載、「しろやぎさん・くろやぎさん往復書簡」第2回は「倉敷のくろやぎさん」。

2014年5月26日月曜日

燈火頬杖




5.24(土) 久しぶりに神戸市立中央図書館神戸ふるさと文庫。調べることはいろいろあるはずなのに、ふらーっと来たのでぼやーっと棚を見て回るだけ。
「浅見淵著作集」の第3巻だけが棚にあるので、「な~んでかっ?」と手に取る。パラパラめくると、R山とかK港、元町、居留地など地名が出てくる。「神戸」という文章もある。年譜を見ると「神戸市生田区中山手通」生まれ。ざーっと読ませてもらう。家に1冊だけこの人の本があるはず。未読。

 藤田三男編 『新編 燈火頬杖――浅見淵随筆集』 ウェッジ文庫 200812月刊
 
新刊本屋で入手可能。743円+税。

 装丁 榛地和(編者の別名)

 浅見淵(あさみ・ふかし 18991973)、神戸市生まれ、文芸評論家。父親の仕事で釜山、東京、神戸で育つ。神戸二中から早稲田大学。

(帯)徳田秋聲、瀧井孝作、井伏鱒二、梶井基次郎、尾崎一雄……親しくまじわった小説家たちを回想する芳醇な文章。

 忘れられた作家・作品を発掘し、時評では新人作家に目配りする。

「忘れられた作家たち」より
 日本の作家たちは、海外の大作家だけではなく無名の作家の作品からも影響を受けている。日本の文学全集は、「現代に栄えている作家の作品に重点」が置かれて「充分文学史的には」編集されていない。

……後世に至って消える作品もあろうし、これらの全集に収録されていない作家の作品で、案外、後世の作家に影響なりヒントなりを与えるものがあるかも知れぬ。……厳密な意味での文学史的編集をしたならば、商売にならないかも知れぬ。ぼくのいいたいのは、これらの全集のたいてい最後のほうにくっついている「大正小説集」とか「昭和小説集」とかいった巻に、その他大勢で収められている作品を、せめて文学史的に収録して欲しいということである。

 一般の人々に関心が持たれず、何かの理由で一流と二流の相違ができる。この二流作品を「できるだけ拾って置いて貰いたい」。それに、その時代に「一応嘱望されるなり、愛好された」作品も入れてほしい、と。「例えのちに立枯れの運命に遭っているとしても、当時はそれまでに無かった、なんらかの新鮮な新しい芽があったに違いないからだ」。
 浅見が参考に、と挙げる大正の作家たち。園池公致(きんゆき)、三宅幾三郎、関口次郎、松本泰、山崎俊夫、小島政二郎、木村庄三郎……藤沢清造。
 昭和では、中島直人、佐々三雄、古木鉄太郎(こき)。
 伊藤整『近代日本の文学史』でも名の出る人はわずか。

(平野)
5.25(日) J堂三宮店、白石一文サイン会。『快挙』(新潮社)に【海】を出してくださったことのお礼と、あえなく閉店してしまったことのお詫びを申し上げた。

2014年5月25日日曜日

足穂「おくれわらび」


ちんき堂で買った本。

 稲垣足穂 『おくれわらび』 中央公論社 1974年(昭和494月刊

当時の最新作品集(昭和4748年「海」に発表)。

目次

私の祖父とシャルル・パテェ
鼻高天狗はニセ天狗
生活に夢を持っていない人々のための童話
おくれわらび
単3乾電池

装幀・挿画 まりの・るうにい

「おくれわらび」

 飛行家・星野米三のこと。大正初めにアメリカの飛行学校を卒業、帰国して複葉機を製作、試験飛行。
 足穂が宇治五ケ庄を女性客と歩きながら、アザミやわらびを摘んだ。女性が手折ったアザミの形状からエルンストの絵「飛行機取り草の庭」を連想。この飛行家のことを思い出す。
 1910年、飛行家志望青年はフランス人の飛行を見つめていた。青年が生きていたら70歳を超えるし、自分はあの頃まだ10歳。

……いずれにしても、これは早蕨であり、同時に「おくれわらび」であることは確かです。……

 足穂も飛行機少年、星野の手記を愛読した。
 本書では「海」に昭和485月発表とあるが、初出は同人雑誌「作家」(昭和356月)。題は「飛行機取り草の庭」とするつもりだった。

(平野)
5.23(金) 神戸新聞H記者「海文堂生誕まつり 991」取材、くとうてんにて。


終了後、Hさんと新出版社準備中Iさんを急襲。岡本に住んで乙仲通のレトロビルに事務所開設というおしゃれな編集者が作る本や如何に! そういう見た目だけの偏見はイカン! 遺憾! 第一弾は秋になる予定。ご期待を。


5.24(土) 読売新聞に記事掲載されました。


2014年5月24日土曜日

本屋さんのダイアナ

 
 柚木麻子 『本屋さんのダイアナ』 新潮社 1300円+税


 おっさんが自分では絶対に選ばない本。

 環境が全く違う二人の少女、ダイアナと彩子が小学校で出会って、本の話で気があって、互いの家庭を羨ましく思って、進路が違って、すれ違いがあって、家族とぶつかって……それぞれが「呪い」を解いて大人になっていく話。詳しいあらすじ紹介はこっぱずかしいのでしない。

 最後で、10年間の絶好状態が解ける。就活中の彩子が書店で働くダイアナに会いに来た。

「夕方の書店って、小学校の図書館と同じ匂いがするのね」
今まさに自分も感じていたことを、彩子がはにかみながら言う。

 彩子が、息抜きになって気分が前向きになる本をリクエスト。ダイアナが出した本は『アンの愛情』。

「『赤毛のアン』が面白いのは『アンの青春』までなんじゃなかったっけ。ダイアナ、あの頃そう言ってたよいね。恋愛や結婚がメインになって面白くないって」
 本の話をするだけで、十年のブランクが埋まっていくのが、なんだか魔法みたいだった。ダイアナはわざと仕事用の口調を選んだ。
「本当にいい少女小説は何度でも読み返せるんですよ、お客様。小さい頃でも大人になっても。何度だって違う楽しみ方ができるんですから」

 ダイアナという名前、漢字では「大穴」で競馬にちなむ、という説明なのだが、当然意味がある。彼女は小さい時から悩み続けてきた。それも実の父親に会えて解決する。

 ダイアナは小学校低学年で大きくなったら本屋を開きたいと思っていた。

「私の夢はね、本屋さんで働くことなんです。大好きな本だけ選んで、小さくても可愛くて趣味のいいお店を開くの」

 彩子に『アンの愛情』を推めて、昔のように本の話ができて思う。

……幼い頃はぐくまれた友情もまた、栞を挟んだところを開けば本を閉じた時の記憶と空気が蘇るように、いくつになっても取り戻せるのではないだろうか。何度でも読み返せる。何度でもやり直せる。何度でも出会える。再会と出発に世界中で一番ふさわしい場所だから、ダイアナは本屋さんが大好きなのだ。いつか必ず、たくさんの祝福と希望をお客さんに与えられるようなお店を作りたい。……
(平野)

2014年5月23日金曜日

瀬戸内海モダニズム周遊




 橋爪紳也 『瀬戸内海モダニズム周遊』 芸術新聞社 2500円+税

はじめに  瀬戸内海モダニズム周遊

第一章 公園と海  発見される「内海」  静的な内海  内海を論じる  保全と開発  多島海の景観

第二章 観光と海  国際観光と瀬戸内海  競争の海  瀬戸内海の女王  海上のホテル  周遊のモデルコース  デッキのモダンガールたち

第三章 文化と海  船に乗れ 日本人  瀬戸内海を描く  伝承と観光開発  厚生の海

第四章 名所と海  観光鯛網  宮島  屋島  琴平  寒霞渓  淡路

第五章 産業と海  産業のランドスケープ  今治・四阪島  別子銅山  宇部・小野田  丸亀  尾道・因島  撫養・坂出  赤穂・三田尻・中関

第六章 都市と海  博覧会と都市  呉 鎮守府の博覧会  高松 民衆の娯楽場

第七章 温泉と海  道後 スピード時代の温泉  別府 東洋の泉都

あとがき  
綴じ込み付録 瀬戸内海周遊鳥瞰図

 古くから航路として、豊かな漁場として栄え、陸路も交通の要衝。温暖な気候で農業も発達し、鉱業、塩業も興った。城下町ができ、史蹟、神社仏閣、温泉など物見遊山で人が行き交う。人と自然が共存し、他地域と交流がさかん。

この広い地域を「瀬戸内海」とひとくくりで見ることはなかった。いわゆる近代的視点で「瀬戸内海」に注目したのは幕末・明治の欧米人たち。「The Inland Sea」=内海と呼び始めた。大正から昭和にかけて、国際的観光地になっていく。

 本年は瀬戸内海が国立公園に指定されて80年にあたる。1934年(昭和9)、雲仙、霧島とともにわが国最初の国立公園に指定された。一府十県にまたがる。しかし、当初は小豆島、屋島、鷲羽山、鞆など限られたエリアだった。何度も拡張され、現在和歌山から北九州まで。また神戸の六甲山など海に面し、海を見渡せる景勝地も含まれている。自然的美観、温暖な気候はもちろんだが、歴史的・人文的景観(史蹟、信仰、伝承、温泉、固有の生業、海・山の幸など)も豊か。近代的観光事業によって「瀬戸内海」のイメージが形成されてきた。

 しかし橋爪は、このイメージが新しく創造されたものと言う。

……わが国が近代化するなかで、各地域に分割されて意識されていた物語や特徴を融合、「多島海」という上位の概念によって「瀬戸内海」という広域の心象風景が規範化された……

「瀬戸内海」というイメージが広く流布する大きな契機が、国立公園指定と近代的観光開発の進展、と言う。モダニズム研究から資料(絵ハガキ、案内書、広告など)で「瀬戸内海」の発展の様子を見る。

(平野)
 営業担当Tさんからいただいた。「【海】で販売して欲しかった本」というお言葉とともに。