2014年6月30日月曜日

あしたから出版社


 島田潤一郎 『あしたから出版社』 晶文社 1500円+税

 装丁 矢萩多聞  装画 ミロコマチコ  写真 キッチンミノル

 ひとり出版社・夏葉社社主。
 これこれヨソサマで自分の本書いていたら、自分とこの本できるんか~? 外野のチャチャ。

 なぜ夏葉社という社名なのか?
 どうして出版社をやろうと思ったのか?
 編集の経験はどれくらいあったのか?
 なんで全国の本屋をまわるのか?
 そんでどーして【海】のクマキに恋愛相談しにきていたのか? ヨソでもやっているな。

 編集の仕事は黒子で、あんまり表に出ないのだけれど、就職しないで生きるには21”というシリーズだから、働くことで悩んでいる人や苦難にあっている人たちに読んでもらえる本。もちろん出版に興味がある人、夏葉社が好きな人も読んでください。

 島田はロックとマンガに夢中だった。大学での会計の勉強は5ヵ月で放棄、苦手だった読書に打ちこみ、小説家になるべく就職せず、アルバイトやら派遣で食いつないで、夢はあきらめたが就職活動はうまくいかず、お金を貯めては旅に出て……恋をして

 身近な人の死を経て、一篇の詩と出会い、出版を志した。
 決意すると、多くの人との繋がりに助けられ、新しい繋がりができる。
 起業するにはお金がいる。でも、お金がほしいから出版を始めたのではない。
「いい本をつくりたい」

 一般的に、出版社はマスコミに分類されていて、夏葉社もまた出版社であり、マスコミなのかもしれないけれど、ぼくの気持ちとしては、本をつくっているというよりも、手づくりの「もの」をつくっているような感覚なのだった。(略)
 ぼくは編集者というよりは、そのものづくりの、見習いの職人のようなものであって(師匠は荒川先生と和田さんだ)、その職人は、やっぱり、書店に直接行き、きちんと頭を下げて、「がんばってつくりました」と説明すべきだと思った。

 荒川先生とは詩人の荒川洋治、和田さんは和田誠。

【海】のことも書いてくれている。KともうひとりのK、F店長にHのことも。私は冗談話しかしていない。【海】を『本屋図鑑』に入れてくれた。なのにそこから一番に消える本屋になった。そやのに【海】の写真集を採算度外視してつくってくれた。

 本書を読んでいると、彼と繋がっている人たちが私たちとも繋がっていると感じる。いつか未知の彼らとも繋がれると思える。私は書店員ではなくなったのだけれど、確かに繋がっている。感謝します。

(平野)

6.27(金)
 ゴローちゃん共々「陳舜臣アジア文藝館」取材の打ち合わせで、アーティストでまちづくり運動家Mさんを訪ねる。同館の会誌の話も。

 そのまま神戸で出版社「苦楽堂」を興したIさん訪問。海岸通、通称乙仲と呼ばれるおしゃれな店舗が並ぶ街のレトロなビルで、硬派な本をつくる。第一弾は秋の予定。それでいつものおバカ話。

6.28(土)
 大阪に行こうか京都にしようかと迷っていたら、阪急もJRも事故で遅れているというので、徒歩三宮。J堂で“島田本”入手。どこにあるかと文芸Hさんに問えば、5階「社会科学」と。まだ台車の上に乗っかっていた。Hさんに見せたら、「アヴァンギャルドな表紙ですね、文芸でも併売します」とのこと。
「古書うみねこ堂書林」、神戸本2冊。11月の横溝正史イベントで著名作家複数来神決定だそう。
 7月、GF・Yさんの店とアカヘルの店で島田本共同フェアの知らせ。

6.29(日)  

 今日は大阪、J堂大阪本店。ここまで来ないと買えない本がある。神戸在住の作家なんやけど。私の探し方が悪いのか~? 
 古本屋さんを数軒覗かせていただく。

2014年6月29日日曜日

神戸 我が幼き日の(3)


 『神戸 我が幼き日の……』(3

 田宮虎彦 『幼年より』「私のふるさと」

 私にはふるさとが二つある。先祖代々の墓地のある土佐と、二十歳の頃まで育った神戸とである。私の父は船のりだった。土佐に生れた父は海を恋うて船のりになったのかもしれないが、そのため神戸というバガボンドの町で、幼少の頃を送ることが出来た私は、今は思いかえして実に幸福だったと思う。母のふところできいた船出の汽笛は、涯しらぬ遠い世界への夢と、ふるさとへの絶ちがたい愛惜とを私の心に植えつけてくれたようだ。……

 母の目を盗んで突堤に遊びに行って……、

……もやっている小蒸汽から岸壁へかけて、綱でつないだ伝馬にのって海の中におちたことがある。日射しが縞目になって海の中までさしていたのを、伝馬の舟べりをしっかと握りながらみたことを思い出す。思い出は恐れといったものでなしに、美しい海の世界をみたなつかしさだ。たしか四月か五月の頃であったと思う。

 

『少年』より「食べものの記憶」

 父親は好きなものをたくさん食べる。好きなものが一品食卓にあればいい、という人。虎彦は少しずついろんなものがある食事がしてみたかった。母親は家事が好きではなかったが、料理は上手だった。その味を受け継いでいると思う。母は料理よりも好きなことがあったのだろう。

……私は、兄と二人だけで、食事をした記憶が、矢鱈と多いのである。(二人だけですき焼きをするが、牛肉の代わりに厚揚げ)兄がどこからか覚えて来たものである。このアゲのすき焼きは案外うまいものである。兄も死んでしまったが、私は、兄のことを思い出すと、このアゲすきを思い出す。父も母もいない食事など佗びしいのだが、アゲすきは、この侘しさの象徴のようなものである。……

 出版社社主は亡くなった兄の友人という縁。

 絵は小松が描いた英国領事館玄関のマーク。
 
 
(平野)

2014年6月28日土曜日

神戸 我が幼き日の(2)


 「神戸 我が幼き日の……』(2

 小松益喜19042002)高知市出身、洋画家。30歳の時、神戸の街と異人館に魅せられ定住し制作。東京美術学校の先輩・小磯良平と親交。


 絵は「ゼリーボンボンの店」。西洋菓子の店。神戸に来た頃の絵。

……イーゼル、絵具箱、カンバスを自転車の後輪につけて、灘から三宮界隈まで毎日のように馳け廻って画を描いていた頃のことである。汽車はまだ高架になっていず、元町の北側の路面をシュッポシュッポと走っていた。前の柵が鉄道線路の柵である。私が、高知から東京へ行こうと出て来たものが、神戸へ立ち寄ってそのまま、二十幾年を住みついたのは、神戸という街があまりにもエキゾチックで、私の画心をそそったからである。……

 店の看板、上は赤地に白字、下は黒地に白字。入口には日清戦争戦勝記念の大砲の玉があり、ショーウインドウには鉄柵。

……画を描くことがよろこびであった半面、生活はゼリー・ボンボンの如く甘くはなかった。……

 まだ絵では生活できなかった時代の作品。
 
 

 異人館、居留地、元町の露路、新開地の裏通り……。絵は建物や街並みだが、文章には街の風情や出会った人たちとの会話が書かれている。

 北野の一番山手で異人館を描いていたら、西洋人の男の子が来て、
「オジサン、ナニシテルノ?」
「絵を描いてるんだよ」
 ルノワールの絵のような美しい子。青い眼が宝石のようで、見とれてしまう。
「オジサン、ナンデソンナニボクミルノ?」
「君の眼があんまりきれいだからよ」
 男の子は得意になって威張った。小松は思わず苦笑い。

(平野)

2014年6月27日金曜日

神戸 我が幼き日の(1)


 田宮虎彦 小松益喜 『神戸 我が幼き日の……』 復刻版 中外書房 1988年(昭和635月刊 初版は19581

装幀 小松益喜

目次
小松益喜 絵と文  ところどころ集  北野・山本通集  居留地集  露路集
田宮虎彦      幼年  少年
あとがき

 田宮の神戸随筆集と小松の画文集、コラボ。
 中外書房は印刷会社から独立、本書初版が出版第一号だったよう。
 復刻版はこの年4月自死した田宮追悼の意味もあったのだろう。扉「故田宮虎彦氏の~」の題字が、「棒ぐ」となっているのは痛い。

(平野)




2014年6月26日木曜日

ふり向けば港の灯


 『日本随筆紀行第十九巻 神戸/兵庫 ふり向けば港の灯』 作品社 19874月刊

港におくる  竹中郁

神戸
神戸の明治情緒を求めて  佐藤愛子
ノスタルジア神戸  淀川長治
金星台から  陳舜臣
他人の顔をした町  花森安治
筒井康隆、横溝正史、野坂昭如 ……

阪神
別当薫、小出楢重、大宅壮一、田辺聖子

播磨淡路
岩野泡鳴、足立巻一、長塚節、竹内勝太郎 ……

丹波但馬
深尾須磨子、岡部伊都子、椎名麟三 ……

装幀 菊地信義  装画 小高佳子

「神戸の港」 田宮虎彦

 田宮(19111988)は東京生まれ、作家。父の転勤(船員)で9歳から神戸暮らし。

 私は神戸で育ったので、神戸のことはよく小説の中に書いている。夜おそく町並も寝しずまった頃、港の中を小蒸汽の走っていくポンポンポン……という機関のおとや、ピュウッーとなきしきるようにきこえてくる汽笛のひびきは、今でも思いだすとなつかしくてたまらない。幼かった頃、自分が虚無の中にいるような切なさをわけもなく感じている時に、そういう淋しいひびきが聞えてくるのであった。また外国航路の大きな汽船の、ボオッーとひびいて来る汽笛もさびしかった。何故、こんな淋しい思いばかりがまつわりついていたのだろう。船というものが、別れを心にいだかせるからだろうか。それもあるに違いない。海そのものも、もともと淋しい思いをいだかせるものかもしれない。……

 神戸一中時代、友人が学校をやめてブラジルに旅立つのを見送った。ブラジル移民は国策で、別れの悲しみよりも海外雄飛の喜びを感じた。戦争中、新潟から満州に行く船で移民する人たちと一緒だった。満州移民も国策だったが、ここでは強い別れの悲しみを見た。
 南にひらく神戸の海と北にむかう新潟の海、それだけの違いで二つの別れの違いの大きさを感じた。
 神戸港について、海からの美しさも語る。毎年夏、両親の郷里・土佐に行くのは海路、700tくらいの滋賀丸。

……白波が船尾にわきたつ。私は、甲板にたって、それをみている。桟橋の灯のかたまりが少しずつと遠ざかっていく。海岸通りの町並の灯が、港にゆらめくかげをうかべる。そして、やがて、市章字山や測候所山(そんな言葉が今も残っているかどうか)の山腹につらなる街の灯がきらきらときらめいて、夜の闇の奥につらなって見えはじめる。
 その頃、神戸市の人口は六十万か七十万であった。その神戸の町の家々の窓の数ほどの灯が、遠く港外に出た滋賀丸の甲板からみえていた。

 田宮は小学4年生の時、作文でその輝きを「ダイヤモンドのよう」と書いた。先生が皆に読んで聞かせてから、冷たく言った。「人の書いた文章をうつして来たって先生はだまされません」。
 確かに田宮少年はダイヤモンドなど見たことはなかった。でもね、彼の心は神戸の灯をそう感じたのだよ。

(平野)
「ほんまにWEB」奥のおじさんさすらい月報第3回アップ。
http://www.honmani.net/

2014年6月25日水曜日

稲垣足穂詩集


 『稲垣足穂詩集』 思潮社 現代詩文庫 19893月刊

シヤボン玉物語  香炉の煙  瓦斯燈物語  足穂と虚空  秋五話 ……
詩論・エッセイ  空の美と芸術に就いて  雲雀の世界  ギリシアと音楽 ……
研究  悪魔学の魅力 西脇順三郎  稲垣足穂論 中野嘉一
解説  鈴木貞美  高橋睦郎
年譜


 

 足穂の作品を〈詩〉と扱っていいのか? 
 読む者が〈詩〉と思えば、それでいいのでしょう。

「質屋のシヨーウインドー」
三角辻にはバアがある
バアへは毎晩少年が
少年は昼間は歯車の間で眠つてゐる
歯車は時計のなかに
時計はポケツトに
ポケツトはおじいさんの上衣に
おじいさんは靴みがき
靴みがきは毎日倉庫の横に

倉庫の上には夜がくる
おじいさんは歯車の間で眠つてゐる
歯車は時計のなかに
時計はポケツトに
ポケツトは少年の上衣に
少年は初山滋の人形に似てゐる
人形に似た子は毎晩バアへ
バアは三角辻のまんなかに

或日椿事が持ち上つた
バアの少年がこなかつた
倉庫の横に靴みがきがゐなかつた
時計は質屋へ入つてゐた
質屋はひろい路にある
ひろい路は星の夜だ
星の夜には明るい窓が
質屋の窓とはしやれてゐる

 
(平野)京都「古書善行堂」で入手。神戸では見かけることがない「コーべブックス」本も4点発見。見てるだけですが。

2014年6月24日火曜日

文学のおもかげ 東灘


 宮崎修二朗 『文学のおもかげ 東灘』 神戸市民文化振興財団 神戸市立東灘文化センター発行 1986年(昭和6110月刊 装画・上尾忠生

 東灘ゆかりの作家・文学紹介。

 文学とは、人間の心のいとなみを理解するためのものだと思います。一部専門家の生業やそれを商業とする人の商品であったり、受験勉強の材料、また低次元の趣味娯楽であってはならないものです。他人の心情を思いやったり、より添ったりすることができて、はじめて世の中――人間関係――は平和になるのですから。……

 


目次

読んでいただく前に

第一部   古典その残り香 古代は香る 古歌をたずねて 旅路のほとり 漢詩をたずねて 庶民文芸の舞台 ふるさとの歌のこだま

第二部   近代その残り香 文明開化のころ 六甲山鳴動のルポルタージュ 灘酒をたたえる歌 詩人・歌人のおもかげ 俳句であるく東灘 谷崎文学をあるく 戦火の東灘と文学 ……

おぎない  あとがき  人名索引  作品名・書名・雑誌名索引

 
「酒造りの唄」 

仕事歌。庶民の生活の中から生れた「口承文芸」のひとつ。

 この仕事歌は、メロディやテンポが労働の辛さを軽減させてくれる効果があります。同時に時計のなかった時代には、作業時間を測定するための時計代りになったのです。だから酒造労務者の採用条件のひとつに歌が上手であることもあったそうです。

 作業の過程でさまざまな歌があったらしい。宮崎が紹介する歌詞。

 酒屋しもうたら 灘へつれて行こ 灘の横屋で 世帯さそ
 夜なか起きして 手元かくときにゃ 親の家での こと思う
 親の(うち)での 朝寝ばちで いまは朝起き する
 酒屋杜氏は 若うてもおやじ 茶より婆でも より子さん
 ……
 丹波雪国 つもらぬさきに 連れて越します (おい)
 あの山なけりゃ 丹波が見える 丹波恋しや 山にくや
 ……

 季節労働者たちは丹波から来ていた。

 
「谷崎文学をあるく」

 谷崎の阪神生活は23年。大正12年、谷崎が箱根滞在中に関東大震災。95日芦屋の伊藤家に落ち着き、9日神戸から海路横浜に。20日家族を連れて海路神戸、芦屋、京都。京都は寒くて12月西宮、さらに武庫郡本山町(現在神戸市東灘区)、岡本。『蓼喰う虫』『卍』などの作品が生れたが、「妻君譲渡事件」、再婚、別居、離婚、松子との結婚も。住まいは魚崎、本山、精道村、住吉と移る。『源氏』現代語訳。『細雪』執筆、第1回が『中央公論』に掲載されたのは昭和18年新年号。しかし、当局はその耽美性を「戦時下に不謹慎」と掲載を中止した。

 だが屈しない作家魂は、発表の当てもない作品の執筆をつづけ、上巻として予定していた二十九章を一本にまとめ、二百部の私家版として知友に頒けた。奥付の発行日は昭和十九年七月十五日となっている。……

 その私家版も、刑事が来て始末書を要求され、中巻以降は中止。
 昭和205月、岡山県に疎開。阪神での生活が終わる。

(平野)

6.21(土)
 妻と映画見たあと、ゴローちゃんと京都珍道中。詳細はどこかでネタに。  
 古書善行堂さんで『ほんまに』相談というか、お願い。いつもたくさんヒントをもらえる。お客さんは、本だけではなく、きっと彼との話も目当てなのでしょう。

6.22(日)
 ギャラリー島田行って、市立博物館、満員の人を見る「ボストン北斎」。皆さん熱心に鑑賞してはって列が一向に進まない。頭越しにさーっと見て退場。  

【海】創業者の曽孫に当たる人とつながりができた。私一人ではつながり得なかった人。人間関係が大事。

2014年6月23日月曜日

環状彷徨


 宮崎修二朗 『環状彷徨 ふるさと兵庫の文学地誌』 コーべブックス 19772月刊

「環状彷徨」とは、登山中の濃霧や吹雪で、「人間の右利き、左利きによる左右不称相に因をなす山に危難のことである。すなわち、同一の場所を中心にして右か左に環状彷徨すること」(『山岳講座』第3巻、白水社)。
 宮崎が敬慕する詩人・富田砕花の詩にもこの言葉がある。

 人間疎外/冗談でしょう/吹雪く原に/思索の/環状彷徨

 函の絵は竹中郁。
 
 

目次
序 旅だちのまえに――兵庫県の風土と人

一 港の文学地図〈神戸市〉 メリケン波止場 潮の香の中で 青い瞳の詩人たち 神戸の暗い季節 開化の風景 元町文学散歩 ……

二 武庫野のこだま〈阪神地帯〉 芦屋川のほとり 甲子園の界隈 武庫のわたり 俳諧の町 猪名川遡行 竪琴の町 ……

三 山なみと潮騒のうた〈丹波但馬〉 城のある町 丹波の牧歌  円山川 潮鳴りの中で ……

四 古風土記の山河〈播磨〉 姫路文学の面影 室津へ 忠臣蔵の町 龍野の歌など 播州平野 人丸山柿本神社 ……

五 島の細道〈淡路島〉 淡路島へ 潤一郎の淡路 おのころ島 鳴門のうた ……

あとがき  人名索引 作品名・誌紙名索引

 

 正岡子規が日清戦争従軍記者の任務からの帰途、船中で喀血し、和田岬に上陸。担ぎこまれたのが神戸病院。明治28522日。

……病院へ着いたのは「丁度灯ともし頃」。病室は二階の一間で当時はまだ閑静であった下山手八丁目の空を(ホト)(トギス)鳴いて過ぎたりもした。

  時鳥山手通りと覚えたり

は入院中の句であるが、若いころから肺結核でしばしば血を喀いたところから、時鳥になぞらえて子規と名づけた彼が、この地でふたたび血を喀き続けながら、あるいは鳴いて血を喀く時鳥の己れの身の最期を、改めて自覚したのではなかったか。……

 
 723日、虚子につきそわれて須磨保養院に移る。

  嬉しさに涼しさに須磨の恋しさに

 

(平野)
 神戸病院はわが小学校の学区内だったと知る
。明治34年に別の場所に移転。

 

2014年6月22日日曜日

神戸文学史夜話


 宮崎修二朗 『神戸文学史夜話』 天秤発行所 1964年(昭和3911月刊

『天秤』は1950年創刊の同人誌。亜騎保、足立巻一ら。源流は1932年『青騎兵』。

 宮崎(1922年生まれ)は元神戸新聞記者、「のじぎく文庫」初代編集長、神戸史学会代表。著書、『柳田國男・その原郷』(朝日選書、1978年)他多数。

目次
はじめに
明治一年から一〇年まで  宣教師がやって来た――キリスト教弾圧される――「七一雑報」が出た――讃美歌とミッションスクール――……
明治一〇年から二〇年まで  「神戸新報」と菊水香水――明治初期の神戸の新聞――「風藻吟社」が営業開始――……
……
昭和二〇年から現在まで
 


 

明治、大正、昭和30年代まで10年ないし5年に区切って近代神戸文学史を追う。

……わが国において、一般に流布されている「日本文学史」だとか「明治大正文学史」といった風な、過去の中央集権的な文壇や出版界に集約されたかたちの「文学史」はありえても、地方の限られた地域を対象とした文学史はありにくいのではないか。(略、地方の資料は量的に乏しく歴史も浅い)これからわたくしがお話してまいります事柄は、すべてが点の羅列であって、一本の線として貫かれていない―いわば年代記の域をでない、とぼしい材料のよせ集めだということです。(略、それでも本にまとめるのは)ものごとのすべてが一つの形になるためには、とぼしい材料をまず集めること、さらに、細かな部分でも組み合わせられるものから、組み立ててゆこうという、初歩的な段階の作業のこころみが必要だと思ったからです。……

 将来「人間の心のいとなみ」の歴史としてととのえられるであろう材料や事柄を集めておきたい、という使命感。

 大正一三年一二月、須磨区中池下にあった竹中郁氏の家を事務所に「海港詩人倶楽部」が発足し、詩誌「羅針」が創刊されています。(略)
 神戸らしい明るくエキゾチシズムと奇知に満ちた竹中氏の詩集「黄蜂と花粉」や山村氏の「おそはる」福原氏の「ボヘミア歌」が大正一五年には送り出されます。(「羅針」には萩原朔太郎や平野威馬雄らが執筆し、佐藤春夫や堀口大學が注目して批評)……文学の世界で神戸という風土がはじめて鮮やかに浮かびあがった時といえるのかもしれません。
 当時の文壇は新感覚派が風靡した時ですし、そこへ神戸という風土のもつ明るいエキゾチシズムを生来感覚につけた稲垣足穂、竹中郁という二人の新進の登場は当然文壇の注視をあつめるに十分だったのでしょう。……

 
 本書の索引はローマ字書きアルファベット順。20音程度なので検索に便利という理由。
(平野)

2014年6月21日土曜日

名作を歩く ひょうごの近・現代文学


 神戸新聞文化部編 『名作を歩く ひょうごの近・現代文学』 のじぎく文庫 神戸新聞総合出版センター 19955月刊 (出版社在庫有りの表示だっが要確認)1456円+税

 神戸新聞「日曜ひろば」連載(1993.494.12)。作品の舞台を訪ね、作品世界に入っていく。
 神戸新聞の出版物でははずせないテーマ。2010年には『こうべ文学散歩』、13年『ひょうご文学散歩』など。

神戸

星を売る店 稲垣足穂  神戸・続神戸 西東三鬼  鼠 城山三郎
火垂るの墓 野坂昭如  風の歌を聴け 村上春樹 ……

神戸  白川渥  尾崎放哉  大岡昇平  久坂葉子  山崎豊子 ……

播磨  司馬遼太郎  佐多稲子  宮本百合子  平岩弓枝  泉鏡花 ……

阪神  佐藤愛子  井上靖  田辺聖子  水上勉  遠藤周作

但馬  宮本輝  新田次郎  高浜虚子 ……

淡路  高橋和巳  阿久悠 ……

丹波・三田  深尾須磨子  三好達治

 

新たな価値観確立を求めて  村上春樹『風の歌を聴け』

 あまりに普通の公園だった。芦屋の、石造りの図書館の横にある小さな児童公園だ。具体的な名称は出てこないが、ただ、小説の中で、一番場所を特定しやすい、という理由だけで訪れた。「何という所ではない」ことを確認しに来たのかもしれない。(略)

 芦屋を歩き、改めて思った。日本特有の村落的雰囲気とはかけ離れた土地で育ち、故郷に対して特別な愛着を持たないことが、村上独特の無国籍な雰囲気を生んだのではないだろうか。山と海にはさまれた坂の街。中心と周辺に関連性を見つけにくい街の造り。海岸通り、汚れた貨物船、汽笛、夕暮れ……土地にこだわらないことが独特の面白さだった日活映画の港町シリーズにも似て、不思議な魅力が生れたように思える。その淡々とした乾いた世界に、過ぎ去った時代への、彼自身の墓標を浮かび上がらせた。……

(平野)

2014年6月20日金曜日

兵庫県文学読本


 『兵庫県文学読本 近代篇』 のじぎく文庫編・発行 1959年(昭和344月刊・会員配布

「のじぎく文庫」は、1958年郷土振興調査会(兵庫県、神戸市、神戸新聞社などで組織)の提唱で発足した会員制出版機関。「ふるさと兵庫」をテーマにして、発行点数は200を超える。現在は一般市販(神戸新聞総合出版センター)もしている。
 

 兵庫の各所について文人・学者たちが書いた文章。





序文 富田砕花

……三代文運の精粋、凝ってもってここに()らく機会をもった。と、いう、いささか古めかしい、型にはまった形容もあながち過当ではあるまい。字義通り百花斉放! まことに盛観というべきで、これはやがて兵庫県という風土そのものが具有するあらゆる意味での卓抜性が、たまたまよき伯楽を得て、われわれにもたらされた所産と素直に受取っていいのではなかろうか。(略)南は鳴門海峡から北は日本海沿岸におよぶ風土の多種多様性は、文字の風雲にのって天かける慨を見せるところのもの、おおよそはこの一巻にあつめ得たことを誇示し得ようか。……
 [神戸]
離愁(薄田泣菫)  神戸(上田敏)  「旅の絵」より(堀辰雄)  「海港詩人」より(丸岡明)  白い灯の匂う元町(岡部伊都子)  あの頃の私と彼等(石川達三) ……

[阪神]
与謝野晶子、佐々木信綱、梶井基次郎、小泉八雲 他

[丹波・但馬]
西脇順三郎、今東光、島崎藤村、志賀直哉、柳田国男 他

[播州]
和辻哲郎、椎名麟三、三木清、竹久夢二、寿岳文章 他

[淡路]
大内兵衛、伊藤整、林芙美子、伊良子清白 他

 
海霧  竹中郁

わたしの視野をさへぎる海霧よ
わたしの眼蓋をおさへる海霧よ
 
岬も見えぬ
帆も見えぬ
 
わたしの胸に靠れかかる海霧よ
わたしのこころに沁みいる海霧よ

水平線の彼方が見える
なつかしい海の噺がよめる
 
(平野)集められた文章は、多様な文化を持つ郷土の遺産。