2014年8月23日土曜日

山田さんの鈴虫


 庄野潤三 『山田さんの鈴虫』 文藝春秋 2001年(平成134月刊 
単行本は品切、文春文庫は版元在庫あり。

装丁 大久保明子  装画 成宮小百合

 子どもたちは成長、結婚して住まいも別。夫婦二人の生活になっている。
 山田さんはご近所の編み物の先生、一人暮らし。妻は時々着るものを作ってもらっている。鈴虫を育てていて、庄野にくれる。

 鈴虫。
 午前中と昼間は静かにしていて、夕方になるとなき出す山田さんの鈴虫が、夜になってもなかない。気にしていたら、翌朝になってやっとなき出す。妻は、
「おともだーち、なき出したよ」
 といってよろこぶ。

庄野はハーモニカ、妻はピアノのおさらいが日課。鈴虫がそれに聞き入って、しばらくしてなき出すように思える。子どもたちが幼かった頃、いっしょに音楽を楽しんだ。オペラの名曲で「おともだーち 待っていーる」と聞えるところがあって、みんなで笑いあったことを思い出す。妻はそのこともあって、鈴虫を「おともだーち」と呼ぶ。

やまださんから、「なかなくなったら、持って来て」と言われていた。10月半ば、そろそろお返しする日が近づいたようだ。ちょうど大阪に墓参りに行くので3日程留守にする。返す日が来た。

 山田さんからお預かりしたかごの鈴虫に、こんなに情が移るとは思わなかったと、家に戻ってから妻と話す。夜のおさらいで妻がピアノを弾き出すと、はじめはその音色をきいていて、そのうち自分たちもかごの中でなき出す。一日の終りに私がハーモニカで昔の唱歌を吹くと、このときも居間の縁側に置いたかごの中ではじめは黙ってきいていて、それからなき出す。リーダーがいるらしく、一匹がなき出すと、おくれてコーラスが始まる。
(略、夫婦で出かけて夜遅くなったことがある)
 帰宅して、鈴虫のかごを置いてある玄関の電燈をつけると、鈴虫がうれしそうになき出した。「お帰りなさい」というふうに聞えた。家の人が誰もいなくなり、暗くなっても電燈はつかず、まっくらのままで、「いったい、どうなったのかしら」とかごの中のおともだーちは、心細くなっていたにちがいない。そんなことがあったのを思い出す。

 鈴虫の好きな茄子をかごに入れて山田さんにお返しした。

 ご近所とのつき合い、子どもたちと孫たちのこと、文学仲間たちとの交遊、家の工事、夫婦でお出かけ、庭にやって来る小鳥のこと……、夫婦は結構忙しい。
 もうすぐ孫の一人が結婚する。夫婦はその日を楽しみにしている。妻が山田さんにお願いしたドレスが出来あがった。

……山田さんから帰って家で妻が試着したうすい水色のニットドレスを見て、私は気に入った。山田さん。ありがとう。

(平野)
本書は春に「本は人生のおやつです!」の書店員さんたちによる古本市で購入した。
我が家の近所では8月初めから鈴虫が朝夕ないている。