2014年11月28日金曜日

春泥尼抄


 今東光 『春泥尼抄』 新潮文庫 1961年(昭和369月刊(手持ち8131刷)

「週刊サンケイ」連載、58年講談社から単行本。

 河内の貧乏農家の少女が口べらしのため尼寺に入れられる。春泥と名を授かり、同い年で寺の御附弟(ごふてい、後継者)春鏡の付き人になる。彼女は華族。少女も共に京都の寄宿学校・尼衆学林で学ぶことができた。
 若く美しいふたりの尼僧は恋愛と仏教の戒律の狭間で悩み苦しむ。お嬢様育ちの春鏡はひとりの男性との恋に動揺する。春泥は憧れの男性・小学校時代の先生への思いを秘め、仏門に抵抗し、男に溺れず、逆に彼らを翻弄する。先生に再会する。寺を出る決意を固めるが……

 美しい尼との恋というとアダルト小説(?)思うが、今東光は女性の勁さを描いている。戦後の新しい女性像だ。春泥は仏に仕え学び、教養と作法を身に付け、友を気遣い、因習に立ち向かう。フランス文学を愛読し、ランボオの詩を口ずさむ。恋に悩む尼に現実の厳しさを諭し、男性の誘惑に対しても毅然として臨む。

「先祖代々、河内の貧農に生れたわたくしみたいな女は、集積遺伝で、こないな考えをするんでっしゃろな。雑草のように踏みにじられた観念は、案外、土性ッ骨が据ってるんでっしゃろ。わたくしは、あなたから捨てられても泣きまへんやろ。その代り、わたくしも平気でお捨てするかもしれませんが」

 モダンボーイ東光の文学論・芸術論も展開される。
 東光は32歳で比叡山延暦寺に入り文壇から離れた。法名「春聴」。51年に河内・八尾市に赴任。ここを舞台に娯楽小説を書いた。彼は瀬戸内寂聴の法師で、「春」の字を法名にあげるつもりだったが、彼女は「春には飽き飽きして出家するのだから」と、「聴」を望んだ。「春泥」のことも気にしたよう。

(平野)

ギャラリー島田 http://gallery-shimada.com/

1129日(土)~1210日(水)
 石井一男展 
 須飼秀和展