2014年1月31日金曜日

月刊 Blue Anchor(2)


 【海】史(14)―2

 『月刊 Blue Anchor』(2
 
☆第2 14ページ



『諸橋・大漢和』に詫びる話  南諭造

セピア色の港とかもめ  角本稔

一葉の賀状から  元村公子

郷土誌の窓  N

海文堂案内板

 南は元図書館勤務。『諸橋・大漢和辞典』で典拠探索をしたが、探しきれなかった反省を語る。

 角本は当時「神戸観光汽船船長」。港の男が23年間の移り変わりを綴る連載。【海】閉店の日、最後にドラを鳴らし続けてくれていた人、といえばおわかりだろうか。


 
 元村は顧客なのでしょう。どういう方か不明。同級生との再会を喜ぶ。

〈案内板〉では、科学技術文書翻訳受付開始のお知らせ。

☆第3 23ページ
 
 

「忘れられない子どもたち」の周辺  玉本格

安岡章太郎「質屋の女房」の質屋  植村達男

野鳥と私  加藤昌宏

偏見――ベストセラーの要素について――  秋元隆司

関西における啄木縁りの人々と啄木研究家川並秀雄先生の業績  天野仁

私の船の本  池田良穂

郷土誌の窓  N

海文堂案内板

 玉本は生活綴方で知られる。教師生活41年をふり返る。

 加藤は『神戸の野鳥観察記』(神戸市立教育研究所)の著者。

天野は関西啄木懇話会代表。

池田は【海】がずっとお世話になってきた大阪府大船舶工学の先生。個人で雑誌「船と港」を1980年から32年間発行。

〈案内板〉 3月に2階オープン(日は不明)。


 『ほんまに』新規取り扱い店

【神戸】 神戸凬月堂 078-321-5555

ありがとうございます。
 
(平野)

2014年1月30日木曜日

月刊 Blue Anchor


 【海】史(14)―1

 『月刊・ブルーアンカー Blue Anchor』(1

1982年2月。

『読書アラカルテ』から改称。「錨をおろして休む、本の港になればという、願いをこめた」。



1 18ページ

目次

邂逅――「古典愛読」の周辺――  木山蕃

『良い顧客が、良い本屋をつくる』  書香家之

最近の面白本から  植村達男

よみがえる読書経験  佐高信

船と私  藤原裕

郷土誌の窓  N

海文堂案内板

 

『読書アラカルテ』22号から印刷に。これまでは小林の手作業だった。表紙の絵もイラストレーター・倉掛喜八郎に。

 木山は須磨在住の歌人。秦恒平『古典愛読』を読み、読書体験と読書哲学に共感。秦の本を読み進めていきたいと思う。

「一人の作家に邂逅することは、大きな喜びである」

新装した【海】が読者と作品の邂逅の場となるよう願う。

 書香はペンネームでしょう。出版業界の人。顧客として【海】を見守ってくれる。

「良い読者が、良い著者を育ててきたように、コミュニティに良い本屋をつくるのは、良い顧客自身である。と私は信じている。」

 藤原は船舶愛好家。

 植村はほぼレギュラー化。

 佐高はこの号が最終。

〈案内板〉で、開店記念サイン会に高橋洋子、小松達也の名が追記されている。

(平野)

東京から写真。

クラフト・エヴィング商會 星を賣る店  世田谷文学館

http://www.setabun.or.jp/exhibition/exhibition.html

 

2014年1月29日水曜日

【海】史 旧店舗


 【海】史(13

 旧店舗 19818月以前

 旧店舗は190坪、230坪、計120坪。増築を重ねたため階段が店の中央になった。この広さになったのが1975年。

 小林良宣が作成した店内案内図。

 
 
 1階、東西出入り口にレジ。真ん中になった階段を仕切りに利用して、西側を文学、人文・社会、経済・経営に、東側に雑誌、文庫、新書、趣味実用、学参を配置した。西側は静かに本を見ていくコーナー、東側は若い人が集まるコーナーにした。奥は新店舗(閉店前の建物)の児童書コーナー手前の位置まで。

 2階、写真のとおり旧店舗は西側のみ。商店街のアーケードは当時改築中。
 
 
 
 
 
 
 
【写真、上・中】小林撮影。【下】東販『書店経営』8011月号より。

 棚見出しを天井から吊り下げ、棚には表示を貼りつけ、番号札を差す。お客さんを棚まで案内できない時は番号を伝えるようにした。

[本の本コーナー]は当時からあった。その右隣が[郷土の本]

 階段の[舵輪]はずっとシンボルマークだった。階段のショーケースには常時[作家生原稿]を展示していた。

 ギャラリーは事務所ゾーンで、売り場直結ではなかった。

(平野)

2014年1月28日火曜日

本の雑誌2月号


 『本の雑誌』2月号 本の雑誌社 648円+税

特集=古本屋で遊ぼう!

 遅ればせながら。

 久々にJ堂ウロウロ。欲しい本がいっぱいある。紹介したい本も。その日は(も)手元不如意につき見てるだけ。

『本の雑誌』もぺらぺら立ち読みのつもりだった。

(浜)編集長の〈今月の一冊〉は京都恵文社一乗寺店H店長『街を考える小さな店』(京阪神エルマガジン社)。数日前『ほんまに』京都珍道中でおじゃまして購入した本。

 特集の執筆陣、豪華。「古本トリオ、神戸へ行く」では【海】の文字が目に入る。閉店前に2階[元町古書波止場]に来てくださっていた。

 吉野さん、旬子さま、文ちゃん、トヨザキ社長、ハルミンさん……、女性ばっかり、ページをめくっていく。

〈三角窓〉をフムフムと見ていると、またも【海】の字がある。おお、名古屋のSK子ちゃん、まだ会えぬGF。私の名前も出てくる! 自慢。

 小銭入れに相談したら、「ギリギリ買える!」。

 『みなと元町 Town NewsNo.258
「【海】という名の本屋が消えた(3)」掲載。
「タウンニュース」は元町商店街に設置されているラックで入手ください。商店街HPにも近日中にアップされます。


 
 ヨソサマのイベント

 さんちか古書大即売会 1/30(木)~2/4(火)

さんちかタウンさんちかホール 10時~1930分(最終日18時まで)

主催:兵庫県古書籍商業協同組合 078-341-1569
 
 
 
絵:もふもふ堂

2014年1月27日月曜日

【海】史1981年新店舗


  【海】12

 1981年 新店舗オープン

「新店舗」建設について、当然現場で話は進んでいただろうが、『アラカルテ』で言及されるのは前述のとおり、818月第21号。

 816日をもって営業終了し、同じ場所に新店舗を建設。工事期間中、近隣2ヵ所に仮店舗を置いて営業継続。

 北店、元町商店街北側。海の本、人文・社会科学書、定期購読取り置き。

 南店、元の場所から東4軒目。雑誌、文庫、旅行書、実用書、新書、文学書。

 新店舗の予告。1階・2階計250坪。自然科学、人文・社会科学、児童書、ギャラリーの拡充、充実。

島田誠 「海文堂書店のオープンにあたって」(『月刊・神戸 読書アラカルテ』 198112月第22号)より

 工事は4ヵ月という短期間。1215日オープン。

――この地に店を構えて五十八年。戦災焼失にもめげず、専門書中心の書店として読者の皆様のご愛顧により、順次成長をしてまいりましたが、店舗の老朽化と、増大する書籍群、多様化する読者ニーズに対応するため一大決意をもって、今回の計画に取り組みました。検討期間を含めると三年間、日本設計事務所と具体的打ち合わせに入ったのが、ちょうど一年前でした。新しい海文堂書店がめざすものを図面に具現していただくため、何度も何度もプランを練り、限られた予算の範囲内で最高のものを作るため、熟慮に、熟慮を重ねました。……
  昨今の再販制度論争、スーパー業界の進出、他業界からの大規模店の参入、更に活字離れ現象と、私共の業界も、ここ数年揺れに揺れているといっても過言ではありません。いかにして生き延びるか、という命題に、簡明な答えはありません。私共としては、たとえ活字離れが進行しようが、安売り本が横行しようが、どんな時代であれ「本の世界」に価値観をもち、安らぎをえ、友を求める真の読書人は必ずいると信じ、そうした読者に愛される書店も必ず生き残ると信じます。
  私共は、時代に添い寝することなく、中堅書店として、五十八年間元町一筋に育てていただいた読者のための書店をめざしました。……――

 海事図書分野での絶対的強みとノーハウ蓄積のうえに、さらに「専門書店の集合としての総合書店」をめざす。
  店内を13のゾーンに区切り(分野別、間仕切りがあるわけではない)、各ゾーンに担当社員を配置し、商品管理、データ分析、読者の案内をする。各ゾーンに担当者用の机を持たせる。
  1階中央に「インフォメーションセンター」(中央カウンター)を置き、各種目録、出版情報誌を揃え、専任担当者が相談に応じる。
  各ゾーンのうち、3ゾーンについては「従来の書店の概念を拡張する試み」を行なう。
「海のゾーン」 海事図書という硬いイメージから抜け出し、海洋小説、釣り、ヨット、モーターボート、魚の本、加えてマリンイメージのインテリア、アクセサリー(のちの港町グッズ)を置く。
「児童書ゾーン」 絵本・児童書だけではなく、スイス製の木のおもちゃを扱う。
「芸術ゾーン」 海文堂ギャラリーを設け、書籍文化と他の知的文化との融合を試みる。

オープン記念催事

 ブックフェア

12.1512.31 「著名作家サイン本フェア」

82.1月 「私の時代、私のくらし、私のマイコン」 富士通の協力でマイコン各機種のデモンストレーションも。

 記念コンサート

2.3 田原冨士子ピアノトリオ  凬月堂ホール 有料イベント

 作家サイン会

12.26 足立巻一

1.9 灰谷健次郎

1.17 田辺聖子

1.23 陳舜臣

1.24 村松増美

2.13 筒井康隆

 1.201.31 陳立人写真展中国

☆ ギャラリー

1.31.31 日本画家名作リトグラフ展

2.12.15 ベルナール・ビュッフェ展
 
 まだ「大規模小売店法」があった時代。1215日は1階のみオープン。2階は翌年3月だった。

 


【写真上】 オープン時の雑誌広告(誌名不明)

【写真下】 新店舗風景

(平野)

2014年1月26日日曜日

【海】史1980新再販制


 【海】史(11

 1980年 新再販制度問題――非定価本騒動

 197810月、当時の公取委員長・橋口收「本、レコード再販廃止の方向~」発言に端を発する。出版界では著者、読者も巻き込んで幅広い論争が起きた。

『月刊神戸 読書アラカルテ』でも、第2号(801月)、第10号(809月)、第12号(8011月)で取り上げている。

 806月末、新聞各社が「本の値引き実現、秋にも価格自由化」と報じた。マスコミの影響力は大きい。だが、制度の内容を正しく説明していない。新聞も再販商品のはず。

『アラカルテ』第10号で『新再販制度』について、何が「新」なのかを説明している。

――従来、私共の書店では、包括的な旧再販により、書籍への表示が、定価○○円であろうが¥○○円であろうが、単に○○円であろうがすべて定価通りに販売してまいりましたが101日以降に出版する出版物については、出版社の判断により、非再販商品には、定価の文字を記入せずに流通させ、これについては値引きも可能になりました。但し、101日以前に発行の出版物は定価の文字が無くても従来通り、再販商品です。……――

 新聞報道は値引きを想定した非再販商品の出現を誇大に宣伝しているが、新制度は現状を追認したもの、という立場

10月から本は安く買えるの? ――「新再販制」についての書店の感想――

 第12号では、出版流通対策協議会のパンフレット『読者にとって再販制とは何か――本の定価販売と読者の利益について――を掲載。新制度下の〈本の流通〉について説明している。

 再販制とは? 海外の制度は? 再販制がなければ? 返品はムダか? 再販性のメリットは? 安売りは読者の利益か? など。

 新制度でどうなったのか?

 出版社は非再販品も出版できるようになった。

 101日以降発行される出版物は、「定価」という表示のあるものは再販商品で値引きできない。「定価」が抹消してあるものは、非再販品で値引き可能。但し、930日以前に出版されたものは、「定価」の表示がなくても再販品。

 101日以降「非再販品」は出版されたのか?

 第1号は年末(店頭に並んだのは翌年1月上旬)、橋口公取委員長の著書(経済学の本ではなく美術エッセイ)。「自由価格本」として出版。

『美のフィールドワーク』(創世記、価2000円、初版3000部)。

 これを【海】島田誠は原価で販売した。1540円。儲けなし、経費分赤字。

 手書きの看板にこう書いた。

――何故? 非定価本  この本は、著者(公取委員長)の意志により非定価本の第一号として」出版された。この著者のユーモアを祝し、本来、価格競争になじまない書籍を書店のリスクにおいて価格競争を行う愚を笑って原価にて販売致します。 2000→1540円  ――

 神戸新聞社会面にトップで取り上げられた。

――定価なし本つき合いきれんヮ 仕入れ値バーゲン  「橋田さんの考えは、本の文化的特質を無視した暴論」と海文堂書店(島田誠社長)が反発をエスカレートさせ、定価に代わる価二千円の本を仕入れ価格の千五百四十円で安売りを始めた。独禁法の番人、公取委員長の発言を逆手にとった書店側の抵抗だが、読書家には今ひとつすっきりしない。―― 

 橋口にも取材している。
「本の再販制に問題あり、小売書店が値付けするのが望ましい。(海文堂の)売り方について論評するわけにはいかない、一種のブラックユーモアか……」というご意見。

 島田の原稿より。

――ここに力説しておきたいことは、私自身の独断によれば、充分に2000円の価値のある本だということです。当店で1540円で買い求められた方は、不当に安く入手されたのではないだろうか。――

 造本の良さ、橋口の絵画に対する造詣の深さとその文章を絶賛している。

――橋口氏の著書は、単なる「商品」ではなくて「一つの価値」であり、「価値」を認めえない人にとっては、一文の値打ちもない。――

『月刊神戸 読書アラカルテ』第15号所収、『非定価本騒動顛末記』)
 
 
 
 

 大スーパーがどさくさ紛れに新刊本=再販商品を1割引きで販売した。

 その後「非再販出版物」はどうなったか?

 出版社が価格を下げたバーゲン本=「部分再販」はある。雑誌の中には次号発売後値引き可能とする「時限再販」のものがある。しかし、「自由価格本」の出版は私が記憶する限り、1996年の『学校・宗教・社会の病理』(吉本隆明、深夜叢書社)だけ。

 版元が確実に売れるであろうと思われる児童書や芸能人本などで「責任販売制」を行なっているが、本屋は自店で確実に売れるであろう最低限の数しか注文しないし、補充も消極的。版元は出荷したら「売れた」ことになるが、本屋はお客さんに買ってもらえなければ「売れた」ことにならない。
 あの「ハリー・ポッター」でも、ある巻があちこちの本屋に大量に残っているはず。値引きもできない、しても売れないだろう。「買い切り」の教訓と思えばいいのかい?

(平野)

2014年1月25日土曜日

月刊神戸読書アラカルテ(10)


 【海】史(10)―10

 『月刊神戸 読書アラカルテ』(10

「月刊」時代に大きな出来事があった。

1198010新再販制度で、非再販商品=非定価本販売が可能になった。

2)同年同月、コーべブックス、南天荘書店との3店合同フェア「神戸から読者へ」開催と、フェアのための冊子『神戸図書ガイド』作成・販売。既に書いた。

38112月、新店舗建設、開業

 新店舗建設のため、81816日をもって旧店舗での営業を終了。仮店舗2ヵ所で営業した。(1)(3)については改めて書く。

『アラカルテ』も8月発行の21号で休刊

――新店が完成したあと、気力が残っていれば、また続けていきたいと思っています。多くの人たちの励ましに感謝しながら、遅ればせながら「アラカルテ」最終号をお届けします。――
 


 

 


 

12月新店舗開業に合わせて22号発行A5判、30頁、縦書き。

22号 目次

海文堂書店のオープンにあたって  島田誠

『夕刊流星号』のこと  足立巻一

啄木と神戸を結ぶ一冊の本  植村達男

元町通は縄文の浜辺  前田保夫

私と読書――推理小説、「天皇」そして「君が代」――  中村茂隆

向田邦子さんを悼む――向田さんの著書と私――  川島由起子

は生きかえる  秋元隆司

あの日あの時あの頃に  田部信

ミッテラン政権とフランスの知識人――デネス教授の神大での講演から――  宮ヶ谷徳三

郷土誌の窓  N

海文堂案内板

 新店舗オープンが最大のニュースで、『アラカルテ』についての記述は2行のみ。

――新しい海文堂が誕生しました。それと共に、この『アラカルテ』も新しいスタートをきることになりました。――

執筆者は顧客の方々。植村以外でその立場がわかるのは、中村(神戸大学教育学部教授)、田部(詩人)、宮ヶ谷(神戸大学フランス文学助教授)くらい。川島、秋元は何度か寄稿してくれているが、どういう方か不明。前田は文章から考古学者だと思うが。

 足立巻一19131985)は神戸に縁の深い作家、詩人。ちょうど『夕刊流星号』(新潮社、絶版)を出版したばかり。

「夕刊流星号」とは戦後創刊された夕刊新聞「新大阪新聞」のこと。足立は軍隊で負傷し療養中に敗戦。第一神港商業の国語教師を経て新聞社に。幹部は毎日新聞の出向だったが、皆有能なジャーナリストだった。彼らの合言葉は、日本の『ロンドン・タイムズ』をつくるだった。しかし、幹部たちは毎日に復帰。講和条約が成立すると、新聞の発行が自由になり、朝日も毎日も夕刊を出せるようになった。傍系の夕刊紙は無用、邪魔。

夕刊紙は「転落」「腐敗」していく。

――発行部数は少なくてもいいが、市民に親しまれる高度の新聞をつくり、利益の配分を公平にした小共和国を築きあげたい、と本気に考えていた。しかし、その結果は理想と裏腹な下劣な新聞をつくることになり、完全な敗北に終わって紛糾のうちに辞表を出したのである。――

 当時、大新聞は用紙不足から「学芸欄」がなかった。「流星号」は「学芸欄」を充実させていた。小林秀雄、志賀直哉、谷崎潤一郎、伊藤整、平野謙、福田恆存、坂口安吾……、ビッグネームが並ぶ。この「学芸欄」の諸文章を資料として残しておきたいと結んでいる。

(平野)

 先日紹介の「書肆青泉社」について、閉店の正確な時期が不明だった。執筆者・市井さんに問い合わせたところ、早速調査してくださった。ご自分の記憶だけではなく、幅広い人脈で確認まで取り、元の所在地にも。感謝いたします。
 元は平屋の店舗だったが、「青泉社ビル」=ツインビルを建設、その3階で営業していたが、1996年5月閉店。肥後橋の朝日新聞ビル内に支店があり、そちらは98年6月閉店と判明した。ビルも現在名称が変わっている由。

  市井さんのメールより。
――書肆青泉社は、私にとって、これまでのところ大阪のオールタイム・ベスト書店です。……――
 調査・確認ありがとうございます

2014年1月24日金曜日

月刊神戸読書アラカルテ(9)


 【海】史(10―9

 『月刊神戸 読書アラカルテ』(9

市井仁(その3

 第17号に『本棚の片隅から 雑誌篇() 「面白半分」臨終号』寄稿。

『面白半分』という雑誌があった。197112月創刊。発行人、佐藤嘉尚。初代編集長・吉行淳之介はじめ人気作家が交代で編集長を勤めた。野坂昭如、開高健、五木寛之、藤本義一、金子光晴、井上ひさし、遠藤周作、田辺聖子、筒井康隆、半村良、田村隆一。

 野坂時代の72年、永井荷風作といわれる小説「四畳半襖の下張」を全文掲載したが、わいせつ図書で発禁。腰巻大賞というのもあった。しかし、80年廃刊。


『臨終号』では歴代編集長が寄稿。

ヒキガエルの目  開高健

残り時間の予約  五木寛之

サパ・ヒントの家  藤本義一

四人のお姫様  井上ひさし

雑誌「面白半分」の倒産  野坂昭如

最初の記憶  筒井康隆

腰巻大賞のこと  田辺聖子

――〈比較文化論的研究〉のサブタイトルのもと、「岩波書店と面白半分の場合」という原稿が、アホウドリこと阿奈井文彦の〈葬式ルポ〉とともに、それぞれ4ページを占めていて、ともに大変興味深い内容である。創刊の企画段階から、今回のこの臨終号の広告集めにまで、終始関わってきた吉行淳之介の「初代編集長の弁」、最終頁の「冥途より」の元発行人佐藤嘉尚の2人の言葉と、面白半分のアシアト(目次・タイトルでは足形のイラストが4つで表現されている)とではほとんど過不足なく「面白半分」の消長を知ることができる。ウスッペラな頁数ながら、見事な編集手腕というほかない。――

 市井は、「これはと思い得る雑誌が出たときは、とことんつきあう主義」=[定期購読、完全読破]だが、『面白半分』はそうではなかった。実は、9年も存続するとは思っていなかった。編集長、オーナー、関係者たちの健闘を讃えている。

――本誌とは別に臨時増刊の形式で相当数の特集が組まれたが、これらは貴重な記録(特に「四畳半裁判証言全記録」のシリーズ)である。「面白半分」よ、成仏せよ。南無!――

 

 

 市井仁の寄稿は南天荘書店のPR誌『野のしおり』で続いていく。『野のしおり』については後日改めて。

 写真、「市井仁」が本名で出版した『本と人を糧に』(編集工房ノア、2002年)。

(平野)