2015年6月30日火曜日

「本への偏愛」展より


  「本への偏愛 Partiality for Books」展より

 


林哲夫 「ローズ・ド・ジャヴァ書店」 「岩波文庫」 「ブラザンス公園にて」








 
 戸田勝久 壁面 「航海日誌」 「草枕」 「いつかの椅子」

既刊文庫に装幀 「猫町」(萩原朔太郎 岩波文庫) 「夢十夜」(夏目漱石 岩波文庫) 「魔法のお店」(荒俣宏 ちくま文庫) 「立原道造詩集」(岩波文庫) 「風立ちぬ・美しい村」(堀辰雄 新潮文庫)


 

 
WAKKKUN 「たっくさんのええ時間」
 
 



 
 小野原教子 「詩の永久運動」 観覧者も参加できる。折り紙をして、それに好きな言葉(小野原が印刷物から切り取った言葉を用意)を2枚選んで貼る。壁に貼ってあるのがそれら。私は、「ドラキュラ伯爵 お手伝いをします」というのを作りました。

(平野)

2015年6月28日日曜日

「海の本屋のはなし」出版記念展


  『海の本屋のはなし――海文堂書店の記憶と記録』出版記念展

ギャラリー島田 27日開幕
  本への偏愛 Partiality for Books
 
7月8日(水)まで
 
  卯月みゆき みをつくし料理帖 装画原画展 
 
7月2日(木)まで







 

 
 
 
 

 







 

 オープン記念トーク「海文堂書店を語る・本への愛を語る」で、卯月さんと髙田郁さんがお話してくださいました。

 海文堂書店の懐かしいお客さんたちとお会いできました。

(平野)
『海の本屋のはなし――海文堂書店の記憶と記録』(苦楽堂)先行販売。開幕初日にして、追加納品となりました。ありがとうございます。本はまだ私の手元にはなく、内容紹介は後日にします。トーク終了後、髙田郁さんと平野のサイン会をいたしました。当然髙田さんの方は行列ができ、私は「すぐに書きます」と呼び込み。

2015年6月25日木曜日

ぼくらの民主主義なんだぜ


  高橋源一郎 『ぼくらの民主主義なんだぜ』 朝日新書 780円+税

《質問にろくな答へをしない人早く質問しろよとやじる》(熊谷市 内野修)

「朝日新聞」朝刊(2015622日)の「歌壇」に入選した歌だ。
「ろくな答へ」をせず「やじる」その人は、自分は民主主義を実践している、と思っている。

 高橋は小説家、20114月から「朝日新聞」の「論壇時評」を担当、政治・社会問題を論じる文章を読み、整理して、伝えている。雑誌論文だけではなく、本やネット掲載の文章も取り上げる。
 第1回は東日本大震災から1ヵ月半後、「ことばもまた『復興』されなければならない」と題して、原発の放射能から「疎開」する母親たちのことから書き始める。母親たちは団体で行動しているのではない。

《――情報を鵜呑みにすることなく、自分の「身の丈」に従って取捨選択し、行動している》。

3.11」を「敗戦」にたとえる人がいる。「敗戦」なら「復興」をめざせばいいのだが、高橋は、自分たちは「戦中」にいるのではないか、「戦争」をしているのではないかと感じる。「論壇」では、「復興」の困難さ、「原発」収拾の道のり、「原発推進」と「反原発」などが議論されるが、未来は見えない。「震災後」を説明してくれることばが「論壇」にない。
 高橋は「論壇」以外のことばとして、城南信用金庫理事長の「脱原発宣言」をあげる。「安心できる地域社会」、「理想があり哲学がある企業」、それに「国策は歪められたものだった」というメッセージに注目する。
 高橋は政治的問題を考えようとしてこなかったと自戒する。

《そんな問題こそ、わたしたち自身が責任を持って関与するしかない、という発言を一企業が、その「身の丈」を超えずに、してみせること。そこに、わたしたちは「新しい公共性」への道を見たいと思った。》

 冒頭の政治家には政治家の「民主主義」がある。わたしたちはわたしたちのことばで「民主主義」を作らなければならない。

《壊滅した町並みだけではなく、人びとを繋ぐ「ことば」もまた「復興」されなければならないのである。》

 高橋は東日本大震災後の日本が、「かつて一度も体験したことのない未知の混乱に入りこんでいったように見えた」。毎回「手探りするように」書いた。

《大きな声、大きな音が、この社会に響いていた。だからこそ、可能な限り耳を澄まし、小さな声や音を聞きとろうと努めた。もう若々しくはなくなったのかもしれないけれど、できるだけ、自分の感受性を開き、微細な電波をキャッチしようと思った。》

政治家や「エライ人」に「民主主義」を丸投げしていてはいけない。
「ぼくらの民主主義なんだぜ~!」

(平野)
 7月5日(日)神保町の東京堂書店で、『海の本屋のはなし――海文堂書店の記憶と記録』(苦楽堂)出版記念イベントを開催します。http://www.tokyodoshoten.co.jp/blog/?p=8458
 ご都合よろしければいらしてください。

2015年6月22日月曜日

海の本屋のはなし ポストカード


   平野義昌『海の本屋のはなし――海文堂書店の記憶と記録』 苦楽堂 

装幀・原拓郎

 7月上旬予定 1900円+税

 苦楽堂が作ってくれたポストカード(非売品)。

 


 ギャラリー島田の通信「INFORMATION」7月号
 
 

 詳細はこちらを。


 本を持ったオヤジは私、林哲夫が『本屋の眼』で描いてくれた。本を「売る人」だった。
(平野)

2015年6月21日日曜日

本屋になりたい


  宇田智子 『本屋になりたい  この島の本を売る』 
ちくまプリマー新書 820円+税  高野文子[絵]
 

 著者はジュンク堂書店池袋本店勤務時代に沖縄本の魅力に引かれ、「沖縄の本を沖縄で売ったら面白いだろうな」と考えた。那覇店開設時に希望して異動し、沖縄本コーナーを担当したが、2011年退職。那覇市の公設市場近くの古本屋を引き継ぎ、「市場の古本屋ウララ」を開業した。店内1.5坪、路上に棚を出して計3坪という規模。

《――独自の歴史、豊かな自然と文化、地元に密着した狭くも深い本の世界にすっかり魅せられながら、絶版になった本や限定販売の本の多さに、新刊書店の限界を感じていました。古本屋なら、なんでも置ける。そして市場なら、わざわざ本屋に来ない人にも沖縄本を見てもらえる。市場で沖縄の本を売るという思いつきにワクワクしました。》

序章 古本屋、始めました
一章 本を仕入れる
二章 本を売る
三章 古本屋のバックヤード
四章 店番中のひとりごと
五章 町の本を町で売る

 大書店を辞め小さな古本屋を始める、それも故郷から遠く離れた場所で。古本屋で「生計を立てる」ことができるかどうかが大きな不安だった。

《いま、私の店は沖縄の本に支えられて成り立っています。売上でも、気持ちの面でも。地元の本を地元で売る、という希望が叶えられているからです。通りかかった人が、
「沖縄の本がこんなにあるなんて知りませんでした」
 と言って買ってくれたとき、ここで本屋をやっていてよかったと感じます。》

 著者は好きな土地で好きな本を集めた。彼女はそこに集まる人に本を売って、それで暮らしていける。「いま目のまえにいる人に何かを伝えようとする本を、手渡す」仕事をしている。

(平野)

2015年6月18日木曜日

小さなユリと


  黒田三郎 『詩集 小さなユリと』 夏葉社 1600円+税

 1960年に昭森社から出版された詩集を復刻。付録に荻原魚雷の解説「詩人のひとりごと」。
  黒田三郎(19191980)は広島県呉市生まれ。452月インドネシアで召集され入隊。47年、田村隆一らの「荒地」に参加する。翌年結核発症、以後入退院をくりかえす。55年夫人も結核で入院する。『小さなユリと』はその間黒田が長女ユリと過ごした日々を綴った詩集。

 「その小さなうしろ姿」

あさっては妻が療養所へ行く日
小心で無能な月給取りの僕は
その妻をひとり家に残し
小さなユリを幼稚園へ送り
それからきょうも遅れて勤めに行く
働きに行く者は皆とっくに行ってしまったあとの
ひっそりと静かな道を

バス道路へ出る角で
僕は言ってやる
「ぐずで能なしの月給取り奴!」
呟くことで
ひそかに僕は自分自身にたえる
きょうも遅れて勤めに行く自分自身にたえる

 ユリを幼稚園に送り、ごはんをつくり、ケンカして……、いっしょに妻の見舞いに行くと妻がユリに尋ねる。

《オトーチャマいつもお酒飲む?
沢山飲む? ウン 飲むけど
小さなユリがちらりと僕の顔を見る
少しよ》 「九月の風」

 ユリは父をかばう。父はユリが寝ると飲みに出て、深夜に帰って、ユリを起こしてしまい泣かす。朝、幼稚園に送って行くと、ユリは父親を泣いて呼び返す。

《「夜中にどっか行っちゃ いやよ」》(「僕を責めるものは」)

 子どもを泣かすな! わかっているけど、やってしまう弱い父はそれを隠すこともしない。でも、ユリへの愛情は読む者にもわかる。
  父子だけの生活は2週間ほど。黒田が交通事故で入院し、夫人は「青白い顔で」退院してきた。黒田がかつぎこまれた病院は空き室がなく、「産婦室」に入れられた。そのことも本書の「あとがき」で詩にしている。

 表紙の絵はユリ。ユリもお父さんが大好きだったのでしょう。
 もうすぐ父の日。

(平野) 黒田三郎の詩というと、私の世代ではフォークグループの赤い鳥が曲をつけて歌った「紙風船」。

2015年6月17日水曜日

本への偏愛 展覧会


  『海の本屋のはなし――海文堂書店の記憶と記録』出版記念展

本への偏愛 Partiality for Books   
 
ギャラリー島田

627日(土)~78日(水) 12001900 
火曜日は1800、最終日は1600まで

 先にお知らせの《卯月みゆき『みをつくし料理帖』装画原画展 6.277.2》と同時開催。

 ギャラリー島田が拙著の出版記念展を企画して、画家さんたちに出展要請までしてくれています。海文堂スタッフやサポーターの皆さんの協力もあります。

 あとは本の出来です。
 

 

(平野)

2015年6月15日月曜日

いちべついらい


  橋口幸子 『いちべついらい 田村和子さんのこと』 夏葉社 1700円+税

田村和子は詩人・田村隆一の4番目の妻(1969年結婚)。隆一は生涯に5度結婚している。
橋口は校正者、1980年編集者の紹介で鎌倉の田村和子宅に夫婦で間借りした。和子は当時隆一と別居中。
 和子の父は著名な彫刻家で、和子が生まれた翌年に妻子を残してフランスに渡り、帰国したのは和子が27歳の時。
 和子が隆一と出会ったのは33歳頃(最初の夫と離婚後)で、隆一には3番目の妻(詩人)がいた。
 和子と隆一の結婚後、隆一に新しい女性ができ、和子は隆一の親友で詩人仲間の北村太郎に相談をしているうちに恋愛関係になる。北村には妻子がおり、二人は駆け落ちする。
 鎌倉の家に北村が越してくるが、すぐに隆一もここに戻ってくることになり、北村は近所のアパートに移る。

《わたしは田村さんを迎えるために、和子さんとふたりで軽自動車に乗って、鎌倉駅の江ノ電側にかけつけた。
 田村さんは着の身着のままで帰ってきていたので寒いといった。わたしは家に着くなり、黒の手編みのベストを持っていった。何を着てもよく似合う田村さんだったから、そのベストも最初から田村さんのものであったかのようだった。(中略)
 和子さんと田村さん、そして北村さんがどんな関係にあったのか、わたしは一方的に和子さんからしか聞いていない。
「田村に若い女性のファンができたの。ぼくには天使がいるんだ、というようになってね。間もなく家にまでつれてきて泊めるようになったの。わたしは嫉妬深い女じゃないけど、そこまでは許せなかった。毎晩、田村と喧嘩するようになって、包丁を床に突き刺したこともあった。ほらね」
 和子さんはそういって、床の傷痕を指差した。
 私たちが越してくる四、五年前のことだ。》

このあたりのドロドロ模様は、ねじめ正一が小説『荒地の恋』(文春文庫)に書いている。われら小市民には無縁(恋多き人生、火宅の人もおられるでしょうが)、別世界の話。

橋口は和子と長い付き合いになるが、後年和子の病気や新しい恋や様々なトラブルで橋口自身が鬱状態になり、医者から和子との交際を止められる。

和子が亡くなって2年、橋口はようやく彼女のことを書くことができた。北村のことは2011年に『珈琲とエクレアと詩人』(港の人)に書いている。

書名は、隆一が鎌倉の家に帰って来た時に話した言葉からで、唐突に海軍の話をして、

《田村さんは少し震える手で丁寧に、「一別以来」と書いた。
「海軍ではね、集まりがあるとこういうんだ。かっこいいだろう、一別以来。ううーん、いいねえ。意味わかるかい。久しぶりっていう意味なのよ」》

 隆一と北村は横須賀第二海兵団に徴集されている。

(平野)

2015年6月13日土曜日

本の雑誌 7月号


  『本の雑誌』7月号 本の雑誌社 667円+税
特集=これからの「本屋」の話をしよう!

おじさん二人組、啓文社に行く!
町から本屋が消えるということ
フリーランス書店員走る!
なぜ本屋は儲からないのか 現代本屋フトコロ事情
僕が書店を続けるわけ
 他、大阪「スタンダードブックストア」代表インタビュー、ニューウェーブ書店店長座談会。

「町から本屋が消えるということ」 石橋毅史

海文堂書店がなくなって1年半の神戸元町商店街をルポ。商店街の皆さんがインタビューに答えてくれている。

「困ってますよ」
「最近はもう、あまり買わないです」
「みんな店がなくなると寂しがってみせるけど、いらんからなくなったでしょ?」

 盛況に見える商店街だが、ある跡継ぎ経営者が「あと二十年したらつぶれるんです、この商店街」と厳しい現実を語る。

 石橋は福岡元店長と私にも取材してくれたが、
《答えるのは福岡ばかりで、終始、話は途切れがちであった。》
 それでも石橋は海文堂の本『海の本屋のはなし』(苦楽堂、7月刊)に触れてくれている。

 近所の喫茶店主が石橋に語る。

「ええか。海文堂は、本屋やないで! 海から生まれた文化の歴史を、丸ごと請け負ってきた店や。そういう歴史を背負ってない本屋なんて、ナンボあったって、なんの意味もあらへん。(後略)」

(平野)

2015年6月7日日曜日

卯月みゆき展


  「卯月みゆき展」案内DM

627日(土)~72日(木) 12001900 

(火曜日1800まで、最終日1600まで)

  オープニングトーク 27日(土)1800

「海文堂書店を語る・本への愛を語る」

卯月みゆき×髙田郁×福岡宏泰×平野義昌

 要予約・定員50名様 ギャラリー島田 078-262-8058

 

 

2015年6月6日土曜日

佐藤ジュンコのひとり飯な日々


   佐藤ジュンコ 『佐藤ジュンコのひとり飯な日々』 
ミシマ社 1000円+税
 

元書店員、現在はイラストレーター、仙台在住。

「人生の半分はひとり暮らしのひとり飯です
ひとり歴が長いわりに料理の腕前は…むむー」

 仕事、行きつけの地元ランチ、仲間と乾杯、実家のご飯、ひとりビール、それに体重気にする乙女心。
 イベントで東北各地、東京遠征もあり。
 閉店前に海文堂書店にも来てくれました。そのルポもあり。

 ミシマ社WEBマガジン連載「女のひとり飯」を再構成。
 同社の新シリーズ「コーヒーと一冊」のトップバッター。北野新太『透明の棋士』、松樟太郎『声に出して読みづらいロシア人』も同時刊行。同社は、このシリーズを書店の「買切」にすることで書店の利益が通常の倍になるように条件付けをしている。

(平野)

2015年6月2日火曜日

海の本屋のはなし 海文堂書店の記憶と記録


厚かましく、自分の本の宣伝。

   平野義昌 『海の本屋のはなし――海文堂書店の記憶と記録』    苦楽堂 1900円+税

 一般発売は7月上旬より。ギャラリー島田での出版記念展「Partiality for Books 本への偏愛」で先行販売ができるかもしれません。

   ギャラリー島田でのイベント

627日~78日 「Partiality for Books 本への偏愛」 B1F会場
 ギャラリー島田&海文堂書店ゆかりの画家さんたちが本への思いを作品にします。

 627日~72日 「卯月みゆき展」 1F会場
髙田郁『みをつくし料理帖シリーズ』装画・原画展
 
 オープニング記念トーク 髙田郁、卯月みゆき、福岡宏泰、平野
 627日 1800 
入場無料ですが予約必要、ギャラリー島田まで
 電話 078-262-8058  メール  (gallery.shimada@dream.com)

 東京神保町の有名書店「東京堂書店」で75日トーク決定。誰の? 私の。
 こちらを。ウソみたいな話がいつの間にか。
http://www.tokyodoshoten.co.jp/blog/?p=8458
 
 本ができます。海文堂書店のスタッフ・OBが長年培ってきたお客さん、版元さん、取引先の皆さんとの繋がりでできる本です。苦楽堂さんの大きな力添えがありました。海文堂ファンの皆様、全国の本屋さん、読んでいただけることを願います。

表現が的確かどうかわかりませんが、私はお墓を建てられたと思っています。閉店後の返品作業を以前に「墓石を積む作業」と書きましたが、その「墓石」は返品されてなくなりました。元町商店街のあの場所には「遺跡」は残っていますが、本屋の「お墓」はありません。小さい「お墓」ですが、ときどきお参りして偲んでくださるならうれしいことです。
(平野)「ほんまにWEB」の連載、すべて更新。http://www.honmani.net/
元町商店街も更新。http://www.kobe-motomachi.or.jp/