2016年2月23日火曜日

ブラック・ジャックは遠かった


 久坂部羊 『ブラック・ジャックは遠かった 阪大医学生ふらふら青春記』 新潮文庫 550円+税

 久坂部は1955年大阪府生まれ、大阪大学医学部卒、外科医・麻酔科医、小説家。在外公館医務官を経て、2003年『廃用身』(幻冬舎)で作家としてデビュー。本書は医学生・研修医として中之島で過ごした久坂部の青春の日々を綴るエッセイ。京阪電車中之島新線PR誌『月刊島民』(制作は編集集団140B)に09年から3年あまり連載した。13年140Bから単行本刊行。「ブラック・ジャック」の書名は手塚治虫の作品にちなむ。手塚は阪大付属医学専門部卒業。
 秀才医学生たちはどんな学生生活を送っているのか? 勉強と研究漬けの学生もいるだろうが、デキの悪いというか「アホ」な学生もいる。猛勉強して合格したものの、授業はさぼり、映画に読書に一人旅、試験はカンニング、金はない。頭の中は女の子のことばっかり。正常な「青春」で私は安心した。しかし、研修医になり医療の最前線に立つと、人の命について、医学界の現状について考え悩む。阪大病院といえば大学医局内の権力争奪を題材にした山崎豊子『白い巨塔』のモデル。
 久坂部は学内で悪友たちと小説同人誌を作り、小説に登場する大阪の「うまいもん屋」を食べ歩いた。中之島の紅茶専門店ムジカで、「ある女性と運命的な出会い」をする。その女性が描いた絵に感心したのだが、6年ほど経って新聞でまたその絵を見た。195221歳で阪急電車に飛び込み自殺した作家久坂葉子との出会いだ。彼女の作品を読み、「その早熟の才能と、死への飽くなき傾斜に強い印象を受けた」。ムジカの主人に絵をコピーさせてもらった。彼女の師ともいえる富士正晴にも会った。「1週間ぶっ通しで二日酔い」という富士と飲んだ。

《富士氏は久坂葉子の死の直後に、彼女の幽霊が現れた話をしてくれ、私の肩の後ろを指して、「そのあたりにぼーっと出てきはったんや」と言った。》
 久坂部は富士の家に何度か通って、同人誌『VIKING』同人になった。

《私が久坂葉子に惹かれたのは、医師として常に患者の死と向き合っていたからかもしれない。死はだれにとっても忌まわしいものだと思い込んでいたが、ときどき、死にあまり抵抗せず、大袈裟に嘆いたりしない患者がいた。死を喜ぶわけではないが、受け入れている感じだ。そういう患者は、死を忌み嫌う人よりはるかにやすらかに死んでいた。
 死の神秘と魅力。私自身もそれに惹かれる気持があり、久坂葉子の作品に興味を持ったのかもしれない。》

 久坂の親族や同級生にも会い、資料もある。いつか久坂のことを書いてくれるでしょう。

(平野)シロヤギさんに教えてもらった本。

2016年2月16日火曜日

あきない世傳


 髙田郁 『あきない世傳 金と銀 源流篇』 角川春樹事務所ハルキ文庫 580円+税

少女幸(さち)が困難にぶつかりながら、周囲の人びとに助けられて成長していく物語。舞台は西宮から大坂で、馴染みのある地名が出てくる。
「世傳」は「せいでん」と読み、「代々にわたって伝えていく」という意味。
……主人公・幸が商いについて真摯に悩み、考え、知恵を絞り、商人として育っていく。同時にそれは、店やひと、それに商いそのものを育てていくことになります。題名には、彼女の歩んだ商道がのちの世まで伝わっていけば、との願いが込められています。》(巻末「治兵衛のあきない講座」より、治兵衛は幸の才能を見出す番頭さん)

 幸の父は学者、摂津国武庫郡津門(つと)村の有力者の支援で塾を開き、近在の若者たちを教えていた。幼い幸は手習いだけではなくもっと学びたい。七夕の短冊に「知恵」と書く。母は女に学は不要と言う。兄は幸に漢字を教え、外に連れ出しては自然の恵みや人の暮らしについて話してくれる。
「知恵は、生きる力になる。知恵を絞れば、無駄な争いをせずに、道を拓くことも出来る。知恵を授かりたい、という幸の願いはきっと叶えてもらえるよ」
 父は人の暮らしも政も基本は農業であるべきと言う。商人を嫌い、「商とは、すなわち詐(いつわり)」と子らに説く。兄は幸に『経済録』という書物で得たこと――武士は商人の金銀に頼って暮らさざるを得ない、物の売買はもっと重要になる、と教える。
 享保の大飢饉、疫病、被害が日本中に広がる。幸にも不幸が襲う。兄が急死し、続いて父も亡くなる。幸は母・妹と離れ、9歳で大坂天満の呉服商「五鈴屋(いすずや)」に奉公に出る。父が軽蔑した商人の世界で生きていかなければならなくなった。その五鈴屋は繁栄の元禄時代に創業して4代目だが、享保の不景気で厳しい経営状態にある。幸は店には立ち入ることができない女衆(おなごし)の身分、どう商いに関わっていくことになるのか。
 ファンが待っていた新シリーズ。カバーの絵は前作と同じく卯月みゆき。

平野)そろそろ出る頃と思って11日に本屋さんに行きましたが、まだでした。12日に福岡さんに会いましたら、「たまたま本屋さんに行ったら出ていた」と言って見せてくれました。なんて運がいいんだ! 悔しい! 13日、ありました。友だちの分といっしょに買いました。

2016年2月15日月曜日

みすず読書アンケート


 『みすず 1・2月合併号 読書アンケート特集』 みすず書房 300円+税
 

 145名が昨年読んだ本の中から興味を感じた本(新刊でも旧刊でも)を紹介。

 海文堂がなくなってからは東京にいる家族に頼んで送ってもらっていたが、今年は版元に直送をお願いした。切手410円分(送料・手数料共)同封で申し込めばよい。

目次で知人の名を探し、あちこちめくっていたら、平尾隆弘さんという方が『海の本屋のはなし』を取り上げてくださっているのを発見。学生時代を神戸で過ごされたそうだが、当時は海文堂とご縁はなかった。

……海文堂のことは知らなかった。残念。私のように外野の外野からその閉業を惜しんでいる者は大勢いるに違いない。あとには小さな宝のような記憶と記録が残った。》

 ありがとうございます。

(平野)

2016年2月13日土曜日

誤読は承知


 誤読は承知

年始からの読書で私が受け取ったこと。

 ルネサンスの芸術家たちを「変人」のキーワードで解説した本『ヤマザキマリの偏愛ルネサンス美術論』(紹介ずみ)で、著者は、彼らが宗教的権威に対して「人間」を考えたこと、そして考える過程で「本質的な思考」が生まれること、を繰り返し言う。日本に欠けているのは「ルネサンスを育んだ懐疑的な精神」だと。

……一つの疑問が糸口のほつれとなり、これまでなにも疑問に思わず、考えずにいたものまでが、次々にほつれていきます。ルネサンスとは、その「ほつれ」を、この時代の人が自分なりの論理で「繕い直し」ていく過程だったと私は考えています。(後略)》

 筒井康隆『モナドの領域』(新潮社)は「ほつれ」を繕い直す。

 世界の創造主がこの世に現れて、SFでいう「パラレルワールド」からこちらの世界に綻び出た殺人事件を収拾する。創造主はGODということにする。この世の人間に乗り移り、正体を明らかにして裁判所で証言し、マスコミにも会見する。哲学・神学論争を交え、一般人の質問や運命についても語る。事件とその結果もGODの計算式どおりだと。彼がすべてを語り終えると事件についてもGODのこともこの世の人間の記憶からは消える。
 SF評論家との問答ではGODは小説家筒井となる。

《「……それじゃあまあ、ひとつだけ教えてあげようかね。わしやお前さんたちがここでこうして存在しているのもひとつの可能世界に過ぎないという証明だ。つまり、これが単に小説の中の世界だとしたらどうだい。読者にしてみればわしやお前さんたちのいるこの世界は可能世界のひとつに過ぎないだろ。お前さんたちだってわかっていえるじゃないか。これが小説の中の世界だってことが」》

 作中人物に「それを言うたら、おしまいとちゃうんけ」とまで言わせている。私たちは筒井の掌で遊ばれている。
 小説の中では〈GOD〉=著者がすべて解決してくれる。現実世界では私たちが「ほつれ」の始末をつけなければならない。これまで先人が積み上げてきた「知性」「論理」に基づいて。

 木内昇『よこまち余話』(紹介ずみ)も異次元の人物が出現する物語だが、強い平和のメッセージがある。お針子の齣江は未来からの人。齣江は魚屋の次男・浩三の先輩・遠山と未来で結婚するらしい。遠山は理系の研究者になるのだが、戦争によって本来の研究ができなくなるようだ。齣江はこの世から去るにあたって浩三に頼みごとをする。

《「遠野さんと、いつまでも仲良くしてあげてね。あの人は、浩ちゃんのことをとっても頼みにしているから」(中略)
「浩ちゃんにはちゃんと現実があるから、とても助けられたのよ。先を変えることはできないけれど、浩ちゃんといるだけであの人は広い世界を見られたから」(中略)
「留守番を、お願いね。でもここにあるものは、なにも残さないでいいからね。浩ちゃんは守らなくてもいいの。ずっとあの人といてくれれば十分だからね」(後略)》

(平野)

2016年2月11日木曜日

北京彷徨


 山田晃三 『北京彷徨 19892015』 みずのわ出版 3500円+税

 著者は1969年神戸市生まれ、京都外国語大学中国語学科卒業。在学中に北京第二外国語学院に留学。大学卒業後、北京師範大学大学院留学。現在、北京大学で日本語を教えている。中国の伝統芸能を学び、演劇・映画にも出演した。中国で暮らして、日本との関係を考える。尖閣問題、東日本大震災、歴史認識、戦勝70周年、首脳会談など大きな話題から、市民の暮らしや町の様子、伝統芸能、映画まで、中国の今をルポする。
 892月から4月、山田は初めて中国に旅行。大同では夜行列車で隣り合った軍人の家に宿泊させてもらった。帰国後の6月に「天安門事件」。山田は大同の軍人に抗議の手紙を書いた。北京は平静を取り戻した、また遊びに来て、という返事にがっかりした。これをきっかけ中国の勉強を始め、講演会や交流会、ボランティア活動に参加した。
……中国について自分の考えを持ちたいという気持ちが高まった。》
 留学当初は町の人たちと言葉を交わし友人に恵まれた。
《当時バブルで湧いていた日本と違って中国は貧しいけれど日本よりずっと自由な国だ、というのが当時の私の感想だった。そして、中国が大好きになった。》
 北京での生活が長くなるとこの国への思いが変化してくる。日常の人間関係が誤解や失敗でギクシャクしたり、日中関係について感情的な反応をされた。思ったことを率直に口にできなくなった。
《中国人と付き合うことが億劫になった。》
 2006年に演劇のオーディションを受け、俳優たちと稽古してすこし変わってきた。ちょうど日本の首相の歴史認識問題で日中関係がこじれ始めた時期。山田に批判を向ける人がいるし、優しく接してくれる人もいた。
……中国人同士のやりとりを見ていてわかったのは、日本人の私だけが嫌な思いをしているわけではなく、中国人の間ではもっと熾烈な競争が繰り広げられていることだった。その時初めて自分は日本人だから疎外されているのではないと知った。すると気持ちが急に楽になった。(中略)
……私は十年以上かかってようやく中国のことが少し掴めてきた。それまでは、自分は中国のことを解っていない、ということが分かっていなかった。そしてそれ以来、私は無理して中国人社会に入っていかなくてもいいと考えるようになり、一歩引いて日本人らしく振る舞うように心がけるようになった。》
 長く暮らしたから語れるわけではない。中国の人は、山田を「客人」としてではなく、肩書きのない不安定な暮らしをしている日本人として接して本音をぶつけてくれた。
 タイトルの「彷徨」は魯迅の作品集にちなむ。「北京をさまよい続けてきた」自分にぴったりと書く。
《私はまさに北京に漂っていた。最初の十年間は留学生として、その後は定職につかず通訳やアテンドなどさまざまな仕事で食いつないできた。その間、日中関係が大きく揺れ動いてきたように、私自身もまた、中国への思いや自身の生き方に大いに迷いながら過ごしてきた。》
 著者はみずのわ代表と高校の同級生で、私にとっては大後輩になる。
(平野)

2016年2月6日土曜日

ほんまに 海の本屋


 『ほんまに』『海の本屋のはなし』紹介いただきました

「神戸新聞」130日朝刊、『ほんまに 第17号〈陳舜臣特集〉』(くとうてん)紹介記事。

 

 神戸市立中央図書館発行の『KOBEの本棚』第81号(昨年11月発行)に『海の本屋のはなし』(苦楽堂)を掲載していただいていました。中島利郎甲南大学教授がわざわざ送ってくださいました。教授が編集された『岡本 わが町』(神戸新聞総合出版センター)も載っています。しょっちゅう図書館に行っているのに、この冊子を手に取っていませんでした。ちゃんと見ます。
 

 

 ヨソサマのイベント

 本と酒器でめぐる酒の世界
会場 1003(せんさん 神戸元町の古本屋)
217日(水)~229日(月)



『月刊たる』400号記念 歴代表紙、原稿展示
京都・今宵堂の酒器展示販売


(平野)

2016年2月1日月曜日

よこまち余話


 木内昇 『よこまち余話』 中央公論新社 1500円+税

 大正末か昭和初め頃、舞台は東京下町の路地にある長屋、登場人物は裁縫で生計を立てる齣江ほか住人や周辺の人たち。皆地道に商いをし、モノをつくる。糸屋の若旦那が新しもの好きで人造絹糸に熱心なくらい。彼は「モダニズム」なんてことも言う。時代は戦争に向かっている。
 この路地、妖しい出来事がいろいろ起こる不思議な場所で、この世とあの世の境目のよう。魚屋の次男坊・浩三の「影」はしゃべる。トメばあさんの家の押入れには芸者が出る。編笠の男が月に1度やって来て店賃を集めるのだが、必ず雨が降るので「雨降らし」と呼ばれている。トメと齣江はすべてをわかっているみたいというか、この世にあってあの世の人。
 浩三はトメと齣江と中学の先輩・遠野(昆虫研究を志望)と天神さんの能を見に行く。齣江と遠野は関わりがある(あった?)らしいと浩三は感じる。終了後、トメがいつの間にか旅装束になっていて、先に帰れと言う。齣江がトメに何か囁いた。浩三にも聞こえた。

「薄霧のまがきの花の朝じめり秋は夕と誰かいひけん」
 浩三はあとで遠野に「花伝書」に引用されている歌だと教えてもらう。
《「この歌はさ、朝の薄霧の中に咲いている花の様子も、夕べのしおれも、同じように素晴らしいと云っている。僕はそう解釈しているんだ。だいぶ意訳だがね」》

舞台に能役者が立っていた。彼は編笠をかぶって「雨降らし」の格好になった。トメは彼に近づく。「影」は浩三に「婆さんの姿を、しっかり記憶に留めておけ」と言った。
 トメはこの日を最後に長屋から姿を消す。長屋の住人は齣江と浩三以外誰もトメのことを覚えていない。
 齣江は、
《いるべきところに、戻ったのよ。覚えていればいいの。みんなが忘れてしまっても、覚えていてくれればいいのよ》
と言う。トメは幼いときから花街で働き、芸者になった。まだ江戸と呼ばれていた頃のこと。
 続いて、齣江も長屋を去る。元いたところに戻ると言う。浩三のために新しい着物をこしらえてくれ、遠野と仲良くするようにと言い残した。
《「浩ちゃんにはちゃんと現実があるから、とても助けられたのよ。先を変えることはできないけれど、浩ちゃんといるだけであの人は広い世界を見られたから」》

遠野のガールフレンドが田舎から遊びに来るというので、浩三は付き添いを頼まれる。浩三は何かを予感した。動悸が早くなり、「昂揚と動揺と困惑とがのしかかって」きた。
 当日、浩三は齣江にもらった着物を着て行く。遠野と彼女の姿を見た。
《はじまっていくんだな、と浩三は思う。それがいかなる場所へ向かおうとも、はじまりというのは、これほど強くて美しいんだな、と身が震えた。》

 あの人たちはもうこの世にいないが、いたことは確か。またこの世で出会うかもしれない。
 齣江は未来から来たのか?
(平野)