2016年5月31日火曜日

かいしょ女


 武田繁太郎 『かいしょ女』 東京文芸社 1969

 商家のお家はんの物語。商売、夫婦愛、子どもとの確執。『月刊神戸っ子』に19662月号から連載した「兵庫の女」を改題。
 主人公まつをは広島の山村の生まれ。貧しい村で、女の子は年頃になると色街に売られてゆく。まつをは地主の家の手伝いでもらう駄賃を貯め、家出。明治31年、まつを15歳。東京を目指すが、汽車の中から見えた神戸の賑やかな町並みに惹かれて下車。兵庫の工場地帯に行く。紡績工場の人の良い守衛(広島の人だった)に頼んで保証人になってもらい、この工場に勤める。同僚・安福利市の真面目さを見込んで結婚。共働き、内職、倹約でコツコツ貯金。現金200円を持って兵庫界隈一の呉服商に飛び込み、商品を卸してもらう。店主は叩き上げで、まつをの人柄と才能を見抜いた。まつをは社宅の人たちに掛け売りをして業績を上げ、利市を退職させて店を構える。日露・ヨーロッパの戦争景気で商売は順調。
 まつを30歳のとき良治誕生。商売が忙しく育児は乳母任せ、利市は可愛がるが彼も忙しくなる。兵庫で指折りの繁盛店となり、利市は政治家の手伝いや大会社との取り引き交渉、地域の商店と百貨店建設計画などを担当する。しかし、過労で倒れ病死。まつをは落胆し酒を飲むようになり、ついに高血圧で半身不随状態。二人の番頭を独立させ、経営から手を引く。新事業は不動産と軍事産業への投資。
 大学生になった良治は母の事業を批判する。良治は応召、恋人がいるのだが、まつをは見合いを勧め、ますます母子の心は離れる。良治は恋人と将来を約束して戦地に向かう。戦地で神戸の空襲のことは聞いていた。無事生還して、まず恋人を訪ねるが、空襲で死亡。兵庫の生家に行く。
 女中おたかに案内されて母の最期の地で弔う。反発したまま出征したが、貧しさをバネに商売に打ち込まねばならなかった母を思う。悲しみが良治の胸にあふれてくる。
 神戸空襲場面。
 310日東京、12日名古屋、13日大阪、空襲は西に伸びてくる。16日は神戸という噂が広まる。ラジオが米軍大編隊来襲を告げる。
《淡路島から西神戸の上空に侵入した先頭の一機が、一条の照明弾を投げた。照明弾はゆっくりと尾をひきながら落下し、強烈な閃光を発すると、たちまち、闇にうずもれていた街々が、白昼のようにあざやかに浮びあがった。それが攻撃の合図のようであった。
 西の空から、ききなれたB29特有の鈍い爆音が、群れをなしてひびいてきた。海と山に囲まれて東西にながくのびた神戸の街は、まず、西神戸の山の手が、敵の第一波に襲われた。》
 作戦は巧妙で残忍。市民は街中が危険と考え、山手に避難していたが、B29はそこに焼夷弾を浴びせた。海岸に逃げると、第二波の焼夷弾。山手にも海にも逃げられず街中に押し寄せると、第三波攻撃。
B29の胴体から、束になった焼夷弾がつぎつぎと吐きだされると、それらは、幾十幾百もの火の筒になり、かさなりあったまま、音もきこえずに落下してくる。と、ふいに、気ぜわしい炸裂音とともに、暗い夜空にぱっと大輪の花火がひろがり、無数にとびちった筒が、ひとつひとつ火を吹きながら、街の屋並みに殺到していった。》
《道路といわず、民家といわず、隙間もないほどに襲いかかってきた焼夷弾は、火の玉になって、あたりを焼き尽すと、それらは、生きもののようにたがいに手を握りあい、炎の長い舌で地上を舐め、街全体が、もう紅蓮の炎そのものだった。》
 防空壕は煙と熱気で、多くの人が犠牲になる。攻撃は東に来て、工場密集地の和田岬、人家の多い御崎町も火の海。半身不随のまつをは女中のおたかに背負われるように脱出。通りは避難民でひしめいている。多くの人が焼死し、焼夷弾の直撃を受けた子どもがいる。まつをは全身火達磨。おたかが助けようとするが、まつをは厳しく叱る。
《「いや。こんなことしてたら、あんたも共倒れや。良治が帰ってきたら、わたしのことを、だれが良治に話してくれるんや。さあ、おたかはん、すぐ逃げるんや」》
 人の波に押され、炎に包まれ、二人は離ればなれになる。

 武田繁太郎19191986)、神戸市生まれ、神戸三中、早稲田大学独文科卒。51(昭和26)年上期から4期連続芥川賞候補。59年『芦屋夫人』が猥褻とされ発禁、以後マダム物で流行作家になる。ノンフィクション作品に『沈黙の四十年 引き揚げ女性強制中絶の記録』(1985年、中央公論社)がある。

(平野)『神戸空襲体験記』に紹介されている武田繁太郎の「炎上の街」は『かいしょ女』の一部だった。神戸の図書館にはなく、検索すると蔵書している公立図書館は数ヵ所だけ。ダメモトで神戸文学館に行ってみた。ここになければ国会図書館に行くしかない。果たして……、ありました、読めました。『神戸っ子』WEBのアーカイブでも可能。
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