2016年12月13日火曜日

神戸探偵作家(2)


神戸の探偵作家たち(2

 戸田巽190692年、神戸生まれ、本名大阪善次)

花隈に住まい。育英商業学校(現・育英高等学校)在学中から同人誌を発行。元町6丁目にあった三越百貨店勤務しながら創作、懸賞に応募していた。1928年「二重殺人」が『サンデー毎日』の「大衆文芸」選外佳作。31年『新青年』に「第三の証拠」が掲載された。「二重殺人」は作品が残っていない。「第三の証拠」は満洲鉄道を舞台にした鉄道ミステリー。
 西田・山本らと「神戸探偵倶楽部」に参加。戦後は関西探偵作家クラブ会報や同人誌、警察や消防局の機関誌に寄稿した。神戸で(一時鳥取に疎開)作品を書き続けた。
 西田との交際を随筆に書いている。出会いは1928年。京都で創刊された同人誌『猟奇』がきっかけ。

……その頃、私は山本禾太郎氏に師事していたが、山本さんもまた西田さんを知らなかった。
「柳原の名士で名前はよく知っていますが、人ぎらいのようでまだあっておりません。」
 と、言われたが、「猟奇」の発刊にチャンスを得て、九鬼澹(たん)を加えて四人の会談となった。その後、酒井嘉七なども加わって、神戸探偵クラブが発足した。》

 32年『猟奇』終刊。続いて33年京都の資産家が同人誌『ぷろふいる』創刊。神戸の作家たちも参加した。各地に探偵小説愛好のクラブが発足する。神戸では月1回、最初は兵庫西柳原の西田邸、後に元町の三星堂薬局二階喫茶室に集まり、約3時間、探偵小説を批評し合った。皆熱心に「書いて読んだ」。雨でも欠席する者はいなかった。西田邸での月見会が雨になり、花壇の狭い小屋ですき焼き会をしたこともある。

《……トタン屋根に雨の音がすごくやかましい。大声で探偵小説を論じた。これ程にみんな熱があった。その中でも西田さんはまるで小説の鬼であった。》

 西田は人柄温厚、やさしく後輩を指導するが、探偵小説となると歯に衣着せず論評した。
 引用文は戸田巽「西田老礼讃」(『日本探偵作家クラブ関西支部会報』1963.1月号、『戸田巽探偵小説選Ⅰ』論創社所収)より。

(平野)
 宮城県盛岡市の本屋さん「さわや書店フェザン店」の「文庫X」が公表された。清水潔『殺人犯はそこにいる』(新潮文庫)。私は勝手に別の本を予想していた。