2016年12月15日木曜日

神戸探偵作家(3)


神戸の探偵作家たち(3

 酒井嘉七19051946年、神戸生まれ、本名嘉七郎)

 酒井は小学校卒業後、自転車部品販売会社に奉公した。過労で倒れ職を辞し、勉学。パルモア英学院に入学し、英語、速記、タイプライティングを習得。在学中から居留地の貿易商に勤めた。1927年、大阪の商社に入社するが、病気のため休職。療養中「神戸又新日報」の懸賞論文に「十年後の神戸」(近未来作品)を応募し特別賞受賞。神戸未来像を描く。何と市電が元町商店街を走る。その他経済・文化いろいろ。現実になったこともある。
 34年、『新青年』に「亜米利加発第一信」が掲載され、デビュー。得意の英語や貿易実務の経験を活かしたモダンな作風。アメリカ航路の船上から手紙で神戸の外国人貿易商殺人事件真犯人を告発する。証拠はタイピングの打刻力
 私生活もモダンボーイで、子の名前は発音・スペルを考慮したそう。一方、日本舞踊・三味線が得意で小説に使っている。
 37年、実務書『外国電信係読本』(私家版、川瀬日進堂書店発売。川瀬は元町1丁目にあった本屋で英文学書も出版)を上梓。40年に商社を立ち上げたが、戦争の影響で閉鎖。大阪の商社に勤めるも肺を病んだ。神戸大空襲で被災し、疎開先の岡山で亡くなった。
 家族がまとめた遺稿集の中に、幕末の「神戸事件」を題材にした作品がある。「異聞 瀧善三郎」。原稿には亡くなる4ヵ月前の日付がある。
「神戸事件」は明治新政府初の外交事件。1868年、西国街道三宮神社前でフランスの水兵が備前藩の行列を横切ろうとした。備前藩(官軍)は兵庫港から大阪に向かう途中。藩士が水兵を切りつけ、見物のアメリカ人船員が負傷し、仏軍・米軍が応戦。大きな戦闘にはならなかったが、外国軍は居留地を占拠。新政府は事態の重大性に苦慮し、備前藩に賠償金の支払いと隊長・瀧の切腹を命じた。
 物語の主人公・穣治(父は異国人)は瀧が切腹した兵庫の永福寺近くで生まれた。寺の伝説を聞き、境内を遊び場にして育つ。瀧の亡霊が穣治の前に何度も現われ助言をしてくれた。戦後復員してきた穣治が三宮神社前に立つ。ちょうど進駐軍の隊列が行進、一人の兵士が穣治に話しかけてくる。「何処かで逢つた」「また逢はうぜ」と言って去った。穣治は元町通、湊川神社前、新開地を歩いて兵庫にたどり着く。焼け野原の中に永福寺の石垣が残っていた。つまずいて転んで、先ほどの兵士のことを思い出した。戦地で夜の偵察中遭遇し、格闘して倒された。殺されると思った。相手が月を背にしていたので顔は見えなかった。彼は「お互ひ戦争なんて嫌だな。元気でやれよ」「また逢はうぜ」と言って去った。寺の境内で野宿、瀧が現れる。あの兵士を訪ねろ、進駐軍で有意義な仕事をしろ、格闘したらこんどは負けるな、と助言する。外国との戦闘で責任を取らされた瀧の亡霊が、負けた兵士に「日本再設」を託す、という話。酒井は病床から帰還兵士を労い、復興を願った。

『酒井嘉七探偵小説選』(論創社、2008年)刊。

(平野)