2016年12月17日土曜日

神戸探偵作家(4)


神戸の探偵作家たち(4

 九鬼澹19101997年、森本澹)

横浜生まれ、両親の死後、神戸の貿易会社に勤める兄を頼る。甲賀三郎に原稿を送り弟子入り。31年雑誌『探偵』に「現場不在証明」を発表後、神戸に戻った。
 33年、京都の資産家・熊谷晃一が探偵小説同人誌『ぷろふいる』をつくる。熊谷は知人の画家・加納哲(表紙担当)に相談、加納は友人の山本禾太郎に依頼し、神戸の西田政治、戸田、九鬼、酒井らが参加。東京では熊谷の親戚が原稿を集めた。編集長は伊東という人、地方発の同人誌ながら次第に読者が増えた。35年九鬼が編集長になると、さらに内容が充実、江戸川乱歩、小栗虫太郎、甲賀三郎ら人気作家も執筆・連載した。36年にライバル雑誌が登場して、対抗するため編集部を東京に移し、九鬼も上京。しかし、熊谷の破産で廃刊。46年熊谷が再起し、九鬼編集で復刊したが、5号発行して途絶えた。
 戦後、九鬼は「紫郎」名で探偵小説・時代小説を発表した。75年、内外の探偵小説研究書『探偵小説百科』(金園社)、80年に『大怪盗』(光文社カッパノベルス)刊行。

《神戸には山本禾太郎、西田政治の両大家がおられ、戸田巽君と私、あとから酒井嘉七、翻訳もする大畠健三郎君などが参加し、グループが出来ていた。とはいえ、記憶は四十年以上もまえにさかのぼるので、このグループが神戸市元町通りに、現在もある三星堂(いまは薬局)という喫茶店の二階の一室に、毎月一回集合して探偵小説の話にウサを散じたのは、「ぷろふいる」の創刊のまえからか、あるいは雑誌が出来たからか、毎月一回あつまろうということになったのやら、そのへんを正確にいうことはできない。(略)》「『ぷろふいる』編集長時代」(『幻影城』19756月号初出、『山本禾太郎探偵小説選』論創社解題より)
 九鬼が資料・蔵書を整理してしまって、あやふやな記憶で書いたようだ。「三星堂薬局」の2階が喫茶室になっていた。『ぷろふいる』の前に同人誌『猟奇』(1928年創刊)があって、それが集まりのきっかけと、戸田巽が書いていた。

 図書館で借りた『探偵小説百科』。四六上製、516ページ。74年、九鬼が西田邸を訪ねた。戸田も同席、3人並んだ写真がある。
(平野)