2016年10月30日日曜日

京都秋の古本まつり


 秋の古本まつり 大本山百万遍知恩寺境内 10.2911.3



 

 今年は都合つかず、お江戸神保町フェスは断念。
 初めての知恩寺。恥ずかしい話、私は知恩院と知恩寺は同じとずっと思っていた。時折小雨。
 毎回古本市ではどこから見ていいのか困る。読みたい本を探すだけで、蒐集しているジャンルがあるわけではない。神戸関連4冊。
 他の本屋さんに立ち寄らず帰る。

(平野)

2016年10月29日土曜日

読書と日本人


 津野海太郎 『読書と日本人』 岩波新書 860円+税

 目次
 日本人の読書小史  始まりの読書 乱世日本のルネサンス 印刷革命と寺子屋 新しい時代へ
 読書の黄金時代  二十世紀読書のはじまり われらの読書法 焼け跡からの再出発 活字ばなれ 〈紙の本〉と〈電子の本〉

 津野は晶文社や『季刊・本とコンピューター』で活躍した編集者で、大学教授、図書館長も勤めた。劇団「黒テント」演出者でもある。出版・読書論、人物評伝など著書多数。

《本はひとりで黙って読む。自発的に、たいていはじぶんの部屋で――
 それがいま私たちがふつうに考える読書だとすると、こういう本の読み方は日本ではいつはじまったのだろう。》

 読書という習慣がいつはじまり、どう普及し、これからどうなるのか?
 津野は、ひとり・黙読・自発的・自室、という読書のはじまりについて、「あのあたりかな」と見当をつけた記録をふたつあげる。菅原道真の随筆「書斎記」(9世紀末)、その末裔で菅原孝標の女(むすめ)『更級日記』(11世紀半ば)。
 学問の神様・道真は学者の家柄。「秀才」の資格を得て、父から小さな「部屋」を与えられた。ここで学問の本を読み、写本をし、「抄書」(大事なところを書き出す)した。しかし、「部屋」といっても大きな部屋を簾や衝立などで仕切った仮設空間で、厳密には「局」と言うらしい。狭い、学友たち(親しい者もそうでない者も)寄ってくる、彼らは書物を乱暴に扱う、休息していても面会と言って入って来る、静かに勉強できない、と不平をもらしている。
 孝標女は親戚から『源氏物語』を揃いでもらって読みふける。津野は竹西寛子の現代語訳でその部分を引用する。

《これまでとびとびにほんの少しずつ読むだけで、あまり納得がゆかず、いらいらしていた源氏の物語なのですが、それを第一の巻から、誰にも邪魔されず、几帳の中にこもりっきりで、一冊一冊取り出して読んでゆく心地、もう后の位だって問題じゃないと思うくらいでした。》

 道真の「個室での自由な読書」は実現しなかったが、150年後の一族の娘にはできた。
 津野は、平安時代中期、孝標女の頃を「新しい読書の時代」のはじまりと指摘する。読み書き能力の向上、読書習慣の普及、印刷・出版の進化とビジネスとしての出版、「読書の黄金時代」……、日本の読書の歴史を考える。活字ばなれ、ベストセラーしか読まれない、電子本登場など読書の環境は変化している。本を読む人が少なくなったのか? 
 いや、「それでも人は本を読む」。

(平野)
 ひとり静かに読書することは学問の神様さえ叶わなかった途轍もない贅沢なのだよ。

『ほんまに』第18号販売店・団体追加。
NR出版会事務局  03-5689-3886
 ありがとうございます。

2016年10月27日木曜日

ライフマグ


 Niigata Interview Magazine Life-Mag.(ライフマグ)』
vol.9 寺泊・弥彦・岩室・巻 編 
エイチ.ケイ コネクション 900円+税 20165月刊




 新潟のひとり出版社。2008年創刊、新潟で活動する人たちに取材し、多様な生き方を紹介する雑誌。
 1024日、神戸市阪急春日野道駅の天昇堂で発行者・小林弘樹のトークイベントがあった。
なんで新潟の地域雑誌が神戸でイベントをするのか?
 今春同地で神戸の名物アーティストWAKKUNが個展を開催した際、本誌に出会い一目惚れした。トンカ書店に紹介したところ、店主も感動して販売を申し出た。イベントもふたりの企画。聞き手はライターで編集者・南陀楼綾繁。月曜日の夜にもかかわらず50名近い人が集まった。
 Vol.9の内容
弥彦  彌彦神社の歴史・神事 弥彦山 
巻  旧巻町での原発反対住民運動
岩室  民謡「岩室甚句」 和納十五夜祭り 
寺泊  野積盆踊り

 登場するのは、宮司、登山家、茶店店主、住民運動に参加した人たち、写真家、シンガー、芸妓、花火師、役者、画家……
 小林はひとりひとり丁寧に取材する。体当たり取材という言うのは乱暴かもしれない。住民運動という地域にとってはデリケートな問題も掘り返す。写真、デザインも、広告取りに販売店営業もすべて小林ひとり、本誌制作に1年かかった。巻末の取材記録と番外話も面白い。

《郷土の歴史を問いなおすこと、そこに光るものこそが、私たちが向かうべき方向を指し示すことでしょう。》

 詳細、販売店などはこちらを。
http://www.life-mag.com/

 神戸ではトンカ書店で販売。バックナンバーも取り寄せてくれる。
(平野)

2016年10月25日火曜日

ハイカラ神戸&横溝


ヨソサマのイベント

 ハイカラ神戸幻視行フェア
1116日~28日 元町の古書店1003(せんさん)にて
 

 

西秋生『ハイカラ神戸幻視行 紀行篇 夢の名残り』(神戸新聞総合出版センター)刊行記念。参考図書・資料と装釘者・戸田勝久の原画を展示。
 1120日には戸田の案内で、同書に書かれた旧居留地界隈スケッチ歩きがある。申し込み要、参加費要。詳しくはこちらを。


 横溝正史~金田一耕助の神戸を探偵する
神戸文学館開館10周年記念企画展
915日~1225 (水曜日休館) 入場無料

 
 
 神戸文学館は昔の関西学院チャペル。
 10.15には古書うみねこ堂書林・野村店主の講演があった。うみねこ堂にごぶさたしていて、今頃紹介。私もこの日六甲山だったから知っていても行けなかった。

(平野)

2016年10月23日日曜日

ハイカラ神戸幻視行


 西秋生 『ハイカラ神戸幻視行 紀行篇 夢の名残り』 
神戸新聞総合出版センター 1800円+税

 
 西秋生(19542015年、本名妹尾俊之)は神戸生まれ、広告会社勤務を経て近畿大学経営学部教授、SF作家。
 前著『ハイカラ神戸幻視行 コスモポリタンと美少女の都へ』(同社、2009年)で、かつて神戸で花開いた「ハイカラモダニズム」を追って、「往時の藝術家たちの残した作品をガイド」に「幻視の街歩き」を楽しんだ。稲垣足穂、谷崎潤一郎、中山岩太らの小説、詩、絵画、写真などを手がかりにした。本書ではさらに街を歩いて観察した。1920年代「都市の遊歩者」が、先端的な都市風景だけではなく忘れられた部分・失われようとしている部分を発見したように、「戦前のハイカラモダニズムの夢の名残を追って神戸の街を彷徨って」みた。

《その全盛時から一世紀近くが経ち、水害や戦災、地震などの災害、あるいは折々の都市開発を経て多くのものが失われたとはいうものの、丹念に歩くと、片隅にひっそりと残る意外なものに遭遇することがある。
 いまでは脳裡がすっかり戦前モードになってしまって、海岸通を歩けばオリエンタルホテルの重厚な独逸風造りを、トアロードを上って行けばトアホテルの赤い尖塔を、埃っぽい現実を透かしてはっきりと認識することができる。》

 王子公園付近で道を訊ねられて、思わず「関西学院の正門のすぐ先……」と答えてしまったこともあった。西は足穂や今東光が学生だった時代の風景を歩いていたにちがいない。

序章 夢の街へ、街の夢を訪ねて
 ハイカラのオリジン
世界一美しい〝異国〟 元居留地  異人館の街 山手雑居地  ボヘミアンの闊歩 トアロード
 モダンの伝播と浸透
繁華街の古層 三宮界隈  鈴蘭燈の輝く下で 元町界隈  船長文化の開花 中山手界隈
 豊穣の後背地
夢のミクロコスモス 阪神間  山の麓 六甲・王子公園
 超俗の別天地
静謐な歴史の街 兵庫  明るい海と山と石と 須磨・明石  
終章 時の彼方から

 絵と装釘は西と関学で同じゼミだった画家・戸田勝久。

(平野)TVコマーシャル、ハイボールと唐揚げで「ハイカラ」というのがあるけど、ちがうからね。しょーもないこと言いですみません。

2016年10月20日木曜日

鱒二柿


 鱒二

〈古書片岡〉で文庫2冊買って、おまけにもらった柿。
 

 

一個食べてもた。

 井伏と河上徹太郎の対談(『文芸』昭和501月、『井伏鱒二対談集』新潮文庫所収)より。井伏76歳、河上72歳。

(井)しかし、みんないなくなっちゃったな。
(河)井伏とおれだけ残ったな。
(井)ほんとだ。浅見(淵ふかし)君が去年かなんか言い出して、阿佐ヶ谷会員がもう十一人亡くなったから最後の会にしようと言って、遺族を呼んでやったの。その演説した浅見君が死んだ。
(河)もうだめだね、おれ達は。
(井)計算したら阿佐ヶ谷会員は十五人死んでいた。
(河)もう死のう、井伏。
(井)うん。死ぬか(笑)、しかしもうちょっと待て。

「阿佐ヶ谷会」 関東大震災後、東京中心部から中央線沿線田園地帯に移住者が増えた。無名の文学青年たちもやって来た。詳しくはこちらを。
http://ogikubo-bunshi.a.la9.jp/index.htm

(平野)

2016年10月18日火曜日

六甲山(3)


 六甲山散歩 続

 六甲山は歩いて登れる。ドライブウェイがあるし、ケーブルやバスもある。山上はほぼ平地。自然がまちのそばにある。でもね、私が前に来たのは友人の結婚式だから4年ぶり。
 六甲山が瀬戸内海国立公園の一部として指定されたのは戦後(昭和31)。明治以来開発の手が入っており、企業やお金持ちの私有地が多かった。保養所や別荘が建てられたが、今となっては使われていない建物が目立つ。歴史的建造物のホテルも売られてしまった。

 


 近畿自然歩道と隣接する私有地内の井戸とポンプ施設。現在使用されておらず、安全のために会が補修。

 


 1.17で倒壊したままの私有地の石垣。

 


 会員有志作業中。


 

 

 私有地と自然歩道との境界柵。元の所有者が設置したは有刺鉄線だったが、会が整備した。

 


 樹木の間から見える六甲の北側の町・唐櫃(からと)。

 
 
 


 自然歩道の石仏たち。北側の唐櫃と南側の灘の交易の道。

 

 

  自然保護センターから見た神戸港。陸地はポートアイランド。


 1016日(日) 平野の祇園さん縁日

 昨年に続き2回目の縁日。出店もお客さん(参拝者)も増えている。

 

平家ゆかりの地。清盛像。

 

古書片岡。先月、毎日放送TV〈ちちんぷいぷい〉で絵本作家・長谷川義史さんが神戸八社巡りの途中立ち寄った。すぐ近くに五宮神社がある。
井伏鱒二文庫2冊で500円なのに鱒二みたいな丸い柿までいただいた。
(平野)〈ほんまにWEB〉「しろやぎ・くろやぎ」更新。

2016年10月17日月曜日

六甲山(2)


 六甲山散歩
 〈六甲山を活用する会〉についてはこちらを。


 15日午前中、会員の皆さんは自然保護センターに隣接する「近畿自然歩道」「まちっ子の森」の整備活動。鎌・剪定バサミを手に、笹刈りに精を出しておられた。根気のいる作業。私は同会の堂馬代表の案内で自然歩道を歩くグループに入れていただき森林浴。



 

 整備作業中。

 


 アセビの木=馬酔木。春に美しい花を咲かせる。毒性が強く、殺虫剤にも利用、繁殖力たくましく、他の樹木が育ちにくい。会で伐採調査を継続中。

 


 森の中には二つの池があり、モリアオガエルが生息。池の上の木に卵塊を産みつける。

 


 霧が樹木にぶつかって落ちる水分量を調査する器具。

 


 会が安全のため手すり設置。

(平野)

2016年10月16日日曜日

六甲山(1)


10月15日(土)六甲山山上でこんな会がありました。

 六甲山魅力再発見市民セミナー 主催:六甲山を活用する会
128回 海文堂、震災、そして陳舜臣さん+野坂昭如さん
場所:六甲山自然保護センター

内容
○海文堂書店について
海文堂小史
●阪神淡路大震災と海文堂
●震災後の本屋
●海文堂閉店
●閉店後の残党(落ち武者)の活動  

○陳舜臣
陳舜臣と海文堂 
●陳舜臣と六甲山 ミステリー『六甲山心中』、随筆『神戸ものがたり』から

○野坂昭如と六甲界隈 虫眼鏡的名所古跡
陳舜臣・野坂昭如、それぞれの神戸
○結び 小さな歴史を大切に

 海文堂時代に同会の出版物を販売していたこと、『ほんまに』第17号で、六甲山麓に居住した陳舜臣の追悼特集をしたことから平野が呼ばれた。『ほんまに』18号で同じく六甲界隈に縁のある野坂昭如を取り上げたので、その話題も付け加えた。
 陳と野坂、生まれも育ちも作家としての活動も異なるふたりがどのように神戸・六甲を描いているかを紹介。それぞれが、体験したこと、視界に入った小さな出来事、まちの風景、風俗を、作品に活かしている。


 会場の兵庫県立六甲山自然保護センター。六甲の自然をパネルや標本で紹介。研修・休憩の場所として開放されている。
http://rokkosan.ec-net.jp/wordpress/

 



 会場のパネルと案内。めくれ上がりように笑う。すぐに直してくれた。 
(平野)