2017年6月25日日曜日

触媒のうた


■ 今村欣史(いまむら・きんじ) 
『触媒のうた 宮崎修二朗翁の文学史秘話』 神戸新聞総合出版センター 1800円+税

 今村は詩人、西宮で〈喫茶・輪〉経営。本書は〈出石アカル〉名で『月刊KOBECCO』(神戸っ子出版)連載をまとめたもの。

 今村作品を宮崎が審査・講評したのが縁。宮崎が今村の喫茶店をたびたび訪れ文学談義。宮崎には文学史、民俗学の著書多数あるが、今村は直接聞き、得た貴重な記憶と証言を本書に書き残す。
 
 

「宮崎修二朗?」という人も多かろう。
 1922年長崎市生まれ、41年文部省図書館講習所卒業。51年神戸新聞社入社、出版部長、編集委員、「のじぎく文庫」初代編集長。
 58年、神戸新聞社は「のじぎく文庫」という「県民の手で県民の本を出版しようという年会費制の出版運動」を始め、宮崎は編集長に就任。ちょうど新聞本紙で柳田國男の伝記連載が決まり、宮崎に口述筆記が命令される。編集局長からトイレで聞かされた。今夜上京せよの社命。

……朝顔のナフタリン玉を転がしていた放水が一瞬止まりましたよ。……

 相手は大学者・柳田である。「キミ勉強が足りませんね!」と叱責される。質問すれば拒否・無視される。柳田は宮崎の著作『文学の旅・兵庫県』(神戸新聞社、1955年)を読んでいて、柳田の兄の短歌を批評した部分が気に召さなかったらしい。

《そしてついに、「ぼくは嫌われて途中で放り出されました」と。門前払いではなく、一旦入った門の中から放り出されたのだ。》

 もうひとつ理由があった。柳田が隠してきた生家・松岡家の暗部を知ってしまった。柳田が口述中「ほんの数語、まったくこぼれ出たという感じで」、兄嫁の入水事件に触れた。

 書名の「触媒」について。宮崎の著書『ふるさとの文学――兵庫縣文学遺香』(上記『文学の旅~』が増刷されず、57年自費で改訂版出版)、父母に宛てた「あとがき」にある。

……わたしにとって、第二の故郷ともなったこの兵庫県と、心の故郷ともいうべき文学を結びつけようという私のねがいは、一日も忘れたことはありませんでした。/私は、自分の貧しさを知れば知るだけ、自分が世の人々にささげうるものは、こうした触媒の役目以外にないということを、改めて自覚しているのです。(後略)》

 宮崎は講習書時代、同期生や教授陣のレベルの高さに自分の無力を思い知らされた。触媒についての講義に感銘を受け、生き方を定めた。それを貫いてきた。
 帯の推薦文は出久根達郎。
(平野)ほんまにWEB、母・しろやぎさん投稿。間違いです。母・くろやぎさんです。お詫びと訂正。